アメリカ、オーストラリアで働いた後に日本に帰国して働き、約4ヶ月が経過しました。同じ会社で3つの国で働いた経験から、海外で働くことに関心がある人、もしくは海外から日本へ戻って働くことを考えている人向けに、私が感じた違いについて書いてみます。
コミュニケーションに必要な労力
よく日本の強みは緻密なコミュニケーションによる「すり合わせ」と言われます。さまざまな部署の調整が必要となる複雑な製品やサービスを生み出すとき(自動車など)に、この緻密なコミュニケーションが強みの源泉となっている、と言う主張です。
一方、裏を返せばそれだけコミュニケーションが期待されている文化、ということでもあります。
日本の組織に戻ってきて感じるのは、仕事を進める際のコミュニケーションの必要量の多さです。
例えば会議を例にあげると、米国やオーストラリアと会議をしていると意見(賛成、反対問わず)がどんどん出てくるのに対し、日本の会議では意見が出てきにくい。
「この場で意見をいって良いのか」という空気を読もうとする傾向があり、タイミングを見計らっているのか、結果的に意見が出にくい会議になってしまう。
意見がないわけではなく、一人一人にどう思いますか、とふるときちんと意見が出てくる。つまり、会議という場で意見がきちんと集められないため、会議で合意形成することが難しい。
かといって、会議で決まったからと進めようとすると、会議で言われなかった意見に対して対応が取られていることを納得してもらえないと、関係者が合意を合意としてくれず、きちんと次のアクションをこなしてくれなくなり、結果的に仕事が進まない。
そのため、きちんと意見を吸い上げて関係者の合意を得ようとすると、結局は毎回毎回、ステップごとに会議の中でそれぞれの一人一人がきちんと意見を言う時間を作るしかないが、それをやると会議が非常に長くなる。
そのため、効率的に進めるためには、それぞれの人と1対1または少人数の場で話す場を設ける必要が出てくる。言い方をかえれば、一人一人に根回し(きめ細かいケア)をしないといけない。
昔ならば「一緒に飲みに行こうか」と飲みの場で話すことや、同じオフィスの中でちょっと立ち話で解決できたことが、このコロナ禍で在宅勤務が基本になると、この一人一人と話さなければならない、というのが非常に労力がかかるプロセスになります。
また、根回しの対象が少なければまだ良いのですが、日本の会議の特徴なのか、関係者が多い。
「俺は聞いていない」と決まったことを後から覆される現象を防ぐために、会議に呼ぶ気持ちは分かりますが、アメリカやオーストラリアであればマネジャー一人出ればいい場面に、日本ではマネジャーが部下を何人も連れて参加している場合が合ったり、必ずしも意見が必要ないけれどその場にいたという実績を作るためにとりあえず関係者全員を集めている会議もそれなりにある気がしています。
この点も、「関係者全員での合意」を重んじる日本の意思決定の特徴が反映されています。
日本での在宅勤務の生産性について、若手が「生産性が変わらない」と答えて、管理職が「生産性が減った」と答えているのは、こういう個別にコミュニケーションを取らなけばきちんと合意が取れない、意思決定ができない、という文化が影響しているのかもしれません。
いずれにしても「期待されているコミュニケーション」の違いのため、労力がかかる、というのが、米豪と比較しての日本でのコミュニケーションの感想です。
新しいことをする際の仕事の進め方
日本の組織は良い意味でも、悪い意味でも完璧主義だなと感じます。前例踏襲ならば良いのでしょうが、新しいことをやろうとすると、できない理由や「こう言うケースが出てきたらどうするのですか」、と言う例外対応がいくつもいくつも出てきます。
そして、その想定される例外やリスクを排除するために、関係部署を含めて何度も打ち合わせをする必要性があり、考えられる対応策を議論し尽くしてから、ようやく次へ進めます。
最初から例外対応を想定して計画を策定するのは大事なことですが、この「リスクや例外対応をほぼ全て潰さないと既存のプロセスからなかなか動けない」、というやり方はビジネスのスピードをかなり遅くします。
アメリカやオーストラリアでは、「それはどのくらいの頻度で発生するのか」、「起きた時にどれくらいの影響が出るのか」、「結局どのくらい重要なことなのか」というインパクト付けをして、それがあまり重要でなければ、リスクについては起きた時に考えるベースでも走れました。
一方、日本では完璧主義の文化が根強く、走りながら考えることに拒否反応があるような気がしています。
どのような新しい活動においても、最初のうちは慣れ親しんだプロセスから離れるため、最初の学びの期間には効率が多少落ちたり、問題が発生するものです。そういったリスクに対して、これはあまり重要でないから今は棚上げ、とするとそこに引っかかる人がおり、「どうしてこの点を考えていないのに進むのか」と関係者の合意が得にくく、進めにくいのが悩ましい点です。
仕事と家庭の両立
仕事と家庭の両立はどの国でもテーマの一つですが、このテーマにおいても違いが大きいです。
アメリカでもオーストラリアでも、オフィスでは17:30になると残っているのは周囲で数人、と言うのが通常でした。
皆、子供の送り迎えであったり、近所のスポーツのコーチであったり、で夕方は家庭で忙しいのです。朝は早くくる人が多いですが、終わりの時間はきっちり帰ります。
そういう事情もあるために、就業時間後にMTGが設定されることはほとんどありませんでした。たまに設定されるとしても時差の違う地域(オーストラリアからヨーロッパと話す時は就業時間後の方が捕まえやすい、など)と話す時に限っていました。
一方、日本では終業後に日本人同士で話すMTGがそれなりの頻度である気がしています。18:00開始、19:00開始、と言うこともあり、これだと子供のいる家庭だと支障が出るな、と呼ばれている身ながら心配になります。
勤務時間中だとみんなが集まれる時間がないから、、、と言うことで就業時間後に設定されるのだと思います。
ただ、そんな場合でもどうしようもなく必要な人だけでなく、参加しても発言しない人(=不可欠でない人、やむをえない出席でない人)が就業時間後のMTGに呼ばれているのは、本当に多様な人材が働ける環境になっているのか、と違和感を感じます。
家庭の時間をどこまで尊重するか、というのは僕が感じる最も大きい違いの一つです。
違いについてのまとめ
これらの違いは相対的なものであり、必ずしも良いことであったり、悪いことであったりするわけではありません。
「綿密なコミュニケーションをとって物事を進めていく」、「完璧主義である」、と言うのはミスの許されないような業種や職種であれば効果的なやり方です。また、作業標準を作り、それに沿った作業を行い、作業標準を改善することで業務効率を改善していく、ような決まったことを何度も繰り返すような仕事でも効果的なやり方です。
また、作業をミスをしないように真面目に進めてくれるという安心感もあり、ここはアメリカやオーストラリアで働いていた時よりも安心して任せることができます。
また、「家庭に対する意識が低い」のは経営する側からすると望ましいことです。業務量を多くした時に、従業員が就業時間後に働き続けてくれる(しかも辞めないでくれる)、という国はそんなに多くありません。経営する立場からすると、こちらも効果的な環境です。
一方、これらの特徴が強みになるような仕事の割合が少なくなっている、とも感じています。
定型的な仕事であればソフトウェアの自動化で大部分が対応できますし、リモートワークはこれまで見えにくかった一人一人の生産性をより見えやすくしました。また、現代の20代、30代は仕事と家庭を両立させることへの意識が高く、「家庭に対する意識が低い」会社は優秀な人材から選ばれにくくなってきています。
僕自身は、日本の文化の良いところは活かしつつ、現在の環境に合っていないところは変えていき、チームがより心地よく、効率よく働ける環境づくりを進めていきたいと考えています。
日本から海外に出る人、海外から日本に帰ってくる人、は上記の
- コミュニケーションの労力
- 仕事の進め方
- 家庭と仕事のバランス
の3点の違いについて意識をして、それぞれの文化に応じた立ち振る舞いを行うと良いかもしれません。