あなたはドイツに本社のあるツアー運営会社の、スウェーデン支社の社長である。スウェーデンでは冬になると暖かい土地へ家族で旅行に行くのが人気で、タイは人気の地域の一つだ。2004年の12月26日、あなたがクリスマス休暇を取っている時、タイで津波が起きたというニュースが入ってきた。あなたは休暇の予定をキャンセルし、急いで会社に戻る。会社では従業員が現地担当者に電話をしており、情報を集めている。しかし、カオラック地域に繋がらず、800人のツアー参加者の安否がわからない。従業員は必死になってツアー参加者にコンタクトを取っている。従業員はそれぞれの部署で考えて動いているように見える。自分は何をするべきか? 他のタイの地域も合わせると、4000人を超える自社のツアー参加者がタイにいる。政府も報道機関も十分な情報がない。現地にいる参加者に対してどうするべきか? また、マスコミや政府からの問い合わせも来ている。どう対応するべきか? 数時間後には他のツアー会社との共同運行でさらにタイに向けて、スウェーデンからチャーター便2便が飛ぶ予定だ。他の会社はタイは大丈夫だとして、飛行機を飛ばしたがっている。自社の旅行者にタイは状況がわからないからキャンセルを強くお勧めする、全額返金する、と伝えても8割の旅行者はそれでも行きたいと言っている。キャンセルすると、他のツアー会社の乗客への補填と合わせて数億円の出費となる。このまま飛行機を飛ばすか、キャンセルするか? あなたは社長として、どうするべきか。
LCA (Leadership and Corporate Accountability)は白か黒かが明確でない、グレーゾーンの判断をいかに行うべきか、を扱った科目だ。上はそのうちの一つの事例(実際は19ページ)。学生は与えられた質問に対して、それぞれの意見を持って、クラスに臨む。
僕のLCAのクラスの教授は元HBO社長のHenry McGeeだ。教授が現地にいるスウェーデン旅行者に対してどうするべきかを問いかける。一人の生徒があてられ、意見を述べる。
私はフライトをチャーターして、現地にいるスウェーデン旅行者全員を避難させるべきであると思う。私たちは顧客に対して責任を負っている。タイの状況は不確定で、顧客を一刻も早く避難させるべきだ。
それに対して、教授は、責任の範囲を尋ねる。スウェーデン人の旅行者全員に対して責任を追っているのか、それとも自社ツアーの顧客だけを対象にするのか。意見を述べた生徒は、他社も含めたツアー旅行者に対して責任があり、避難させるべき、と答える。そこで僕は違う意見を持っていたので、手を挙げて、さされ、自分の意見を述べる。
私はその意見に反対だ。私たちはツアー会社であって、顧客が安全な旅行を提供することに対して責任を追っているが、全てのタイにいるスウェーデン人に対して責任があるわけではない。それはスウェーデン政府の責任だ。また、私たちに全てのスウェーデン人の輸送を手配できるだけの財政的な能力もない。私たちは私たちの顧客の帰国を優先し、その他のスウェーデン人に対しては政府や他旅行会社と協働して動いて避難を進めるべきだ。
そこで教授は、まだ状況がはっきりしていないことを述べ、それでも今飛行機を手配するのか、どれくらいの人数の分の手配をするのか、を突っ込んで聞いてくる。私たちが誰に対して、どんな責任を負っているのか、それをどう満たすのか、のディスカッションとなり、顧客、投資家、従業員、社会に対してどんな責任を負っているのか、が黒板に書かれていく。
論点が移り、今まさにスウェーデンを飛ぼうとする飛行機を止めるのか、止めないのか、の議論が始まる。一人の生徒が言う。
私は飛ばすべきだと思う。私達は乗客に対してタイの現状が混乱の中にあること、キャンセルで全額返金することを説明して、その上で顧客は行くことを選択している。私たちは説明責任を果たしている。また、他の旅行会社はタイの現状がそこまでひどくはないと思っており、飛行機を飛ばさないという判断は彼らの顧客にも影響を与え、さらに数億円の負担となる。投資家への責任から、この負担はするべきではない
それに対して、他の生徒が反論する。
私は彼の意見に完全に反対だ。飛ばすべきではない。顧客と会社の間には情報の非対称性があり、顧客は今タイの状況がどんな状態かわかっていないので、行きたいと言っている。私たちも今のタイの状態を正確にはわかっていないが、混乱の中にあるというのは容易に想像がつく。そんな状況の中に顧客を送り出すことは、顧客に対しての責任を果たしていない。また、数億円の短期的な負担よりも、ここで飛行機を飛ばして、顧客を危険にさらした時に長期的に信頼を失うことによる損失の方を優先的に考えるべきだ。
他の生徒も加わり、顧客に対する責任、投資家に対する責任、の議論が深まっていく。また、プレスリリースを打つべきか打つべきでないか、という議論も行われ、「政府や他旅行会社に対して行動を促すためにも打つべき」という意見と「まだ連絡が取れない、という程度の情報しか出せないのでもう少し待つべき」という意見が出る。それぞれのアクションのメリットとデメリットが出てきて、社会に対してどのような責任を負っており、どう果たすべきか、という議論が行われる。
また、この混乱の中で、従業員に対してどのようなリーダーシップを取るのが良いか、という議論も行われる。自分が中に入って判断をして方向性を示すべきか、それとも現場に委任して自分は政府や本社と協働することに集中するべきか、の議論。何を優先して行うべきか、それはなぜか、と議論が深まったところで、実際のその時の社長が体験談を語るビデオを見て、当事者がどのような考え方をして、どのような判断をし、どのように行動したのかを知る。
実際の例では、社長はツアー運営会社はマスコミ、政府へ「800人と連絡が取れず、洪水の被害が大きい」ことをプレスリリースし、政府へ逐次情報を提供し、タイへ向かう飛行機2便をキャンセルし、飛行機をチャーターして、4000人強の自社の顧客をすぐに帰国させた。政府が動いて他のスウェーデン人旅行者の帰国を行ったのは、その4日後であった。会社はその年は利益が伸び悩んだが、翌年には回復した。
70分の議論が過ぎ、最後の10分で教授がまとめる。
- 投資家、顧客、従業員、社会に対してどんな責任を負っているのかを経済的、法的、倫理的な視点から分析する
- 顧客が状況を把握して判断できるという前提ではなく、顧客よりも自分たちの方が情報を持っているという前提で顧客への責任を考える
- “No surprises” Policyを取るべき。想定外の事態が起きた時には、規制当局、上司、顧客にはすぐに、何がわかっていて、何が分かっていないのか、を伝える(ただし、法に準ずる)。
- 政府と問題が発覚する前に協働するべき。彼らに自分たちを信頼させる理由を与える
白黒がはっきりしない問題に対して、唯一の解ははない。しかし、白黒がはっきりしない問題を考え続けることで、より良い判断と行動ができるようになる。LCAではこういったケースを通じて、状況を分析して、アクションプランを立てる考え方を学び、自分自身の判断の軸を養成することが目的になっている。
ビジネスパーソンは経済的な視点から物事を判断しがちだが、実際には法的、倫理的な視点からも考える必要があり、かつステークホルダーを漏らさない必要がある。常に難しい判断が求められるという点で、僕はこの授業がとても好きだ。