医療業界の商品企画・マーケティングは様々な点で一般的な製品・サービスとは異なり、専門性の高い職種だと言われています。
通常のBtoCやBtoBのマーケティングとの違いを理解できればより効果的なマーケティング活動ができる一方、その違いを理解しないと思わぬ落とし穴にはまってしまい、最悪は販売停止命令や訴状を受け取ることになります。また、製品・サービスが機能的に優れていたとしても、様々な理由で市場に浸透させることができないこともあります。
医療マーケティングの特徴と気をつけるべき点について、今回ははじめて医療機器、製薬企業で戦略、マーケティングを担う方向けに書いていきます。
目次
医療業界の構造の特徴
医療業界と一口で言っても、医療を実際に提供する病院、クリニック、老人ホーム、ホスピス、支払いを行う民間保険会社と国の保険機関、薬を処方する薬局・ドラッグストア、薬・医療機器を提供する製薬・医療機器会社、販売代行を行う代理店、製品の許可や保険承認を管轄する規制当局、など数多くのプレーヤーが存在します。
医療業界のプレーヤー全てに大きな影響を与え、かつ他の業界との違いは規制当局の影響の大きさでしょう。いわゆるマーケティングの4P (Product、Price、Place、Promotion)の全てに規制の影響がかかってきます。製品・サービスを考えるときにも、承認を得るまでのプロセスは最初に考えなければならないことの1つです。
医療機器の製品開発の流れ
医療機関で患者さんの診断・治療・予防に使われる薬や医療機器は規制当局へ販売を申請し、販売しても良いという許可を得る必要があります。
国によっても規制は異なりますが、大抵の先進国において(米国、EU、日本、オーストラリアなど)、新しい製品はその安全性と有効性を示すデータ(「治験」と呼ばれる)を示す必要があります。
僕たちがお医者さんに行って、安全性が証明されていない薬や機器を使われても怖いですよね。また、効果のない治療をされても誰も幸せになれないですよね。
そういった事態を防ぐため、規制当局は製品・サービスを提供する企業にデータの提供を求め、安全性と有効性が確認できたもののみを許可しています。
日本の場合でしたら行政独立法人医薬医療機器総合機構(PMDA)が審査期間となります。求められるデータや審査の期間は、その薬や製品がどのくらい既に承認されて市場にある薬や製品と比べて異なるか、何か不測の事態が起きた時にどの程度患者さんに影響が出るか、などの基準で異なり、最も厳しい基準ですと審査に一年以上かかることもあります。
安全性・有効性を示すデータを集める必要があること、規制当局の審査期間があること、販売許可が得られてからも保険対象としてもらうための新たな申請と審査の期間があるため、医療機器で新しい商品が出る商品サイクルは一般的に他の業界よりも長いです。
例えば医療機器の場合ですと、下記のような流れで開発が進んでいきます。
- 研究開発(コンピューター上でのシミュレーション、机上実験、プロトタイプの開発など)
- 動物を対象とした安全性・有効性の検証
- First in Man (FIM)とよばれる、人を対象とした治療による安全性の初めての検証
- 少人数を対象にした安全性・有効性を検証する治験(医療機器の場合、数十人程度)
- 大人数を対象にした安全性・有効性を検証する治験(通常は数百人以上)
- データ集めと分析
- 規制当局への申請と質問の回答
- 規制当局からの承認取得
- 保険への申請
- 販売開始
商品にもよりますが、研究開発で数年、治験でさらに数年、審査と保険承認で数年、と研究開発から販売まで5年以上かかることは普通です。
また、治験の結果で安全性か有効性のどちらかが規制当局の基準に満たない場合、販売承認が下りず、販売できないことになります。
医薬品の製品開発の流れ
薬の場合も基本的な流れは同じです。ただし、治験に要求される人数がより多く治験が大規模になること、フォローアップの期間が長いことから、要する期間は長く、費用の規模はより大きくなります。
新薬の場合、研究開発から発売まで10年以上、研究開発に数百億円かかることはざらです。
一方、ジェネリックと呼ばれるすでに安全性・有効性が証明されている薬を特許が切れた後に他社が製造する場合は、状況が異なります。治験が省略されるため、需要の高い薬の特許が切れてから数年以内にジェネリック製造会社が同じ成分の薬を販売し始めます。
医療機器・医薬品の場合、一定以上の規模の治験の情報は公開されていることが多く、誰でもアクセスすることができます(clinicaltrial.govで公開されています)
医療機器・医薬品のバリュープロポジション
医療機器・医薬品は疾病の診断・治療・予防を対象にしているため、その製品のバリュープロポジションが明確なことが多いです。
例えば、大腸癌を対象としている薬の場合、「大腸癌を抱えた患者さんのガンを治療する薬で、これまでの薬よりも有効性が高く、副作用が少ない。1日1回で飲む回数も少なくてすむから患者さんの飲み忘れのリスクが少ない」というのがバリュープロポジションになります。
治験の結果により、安全性・有効性が証明されるため、製品の機能としての価値はデータで裏付けて明確にしやすい一方、データのごまかしは不正や悪い意図がない限りできないため、治験の成果が悪い製品は、すでに市場に同じ用途の優れた製品がある場合、筋が悪いものとなります。
治験の結果が商品の価値に大きな影響を与えるというのは、医療の業界の特徴です。
一方で、安全性・有効性の他にも効率性も重要となってきているため、たとえ治験の安全性・有効性の成果が現在市場にあるものと同程度であっても、効率性で価値を出すこともできます。
医療機器の効率化の例ですと、今まで3時間かかっていた手術を1時間でできて、同程度の安全性と有効性をもつ機器があれば、病院としてはより多くの患者さんを手術することができ、収益の増加につながる、というメリットを打ち出すことができます。
バリュープロポジションで重要なのは、データの裏付けがない価値はメッセージとして出すことに注意が必要、ということです。
例えば、Aという商品はBという商品に比べてこれだけ安全、ということを示すためには、二つの独立した研究成果を並べるだけでは、研究の前提条件が異なるため十分ではありません。
多くの場合、一つの研究の中でランダム化して比較する必要があります。この点を無視すると訴訟リスクが高まりますので、注意が必要です。
「エビデンス」が商品の価値を高めていく
新しい医療機器・医薬品は承認までの治験は企業がスポンサーとなって、医療機関や治験支援サービスを行う企業と提携して行うことが多いですが、商品が発売された後も商品の安全性・有効性についての評価は続きます。
具体的には、医療機関の研究者が実際にそれらの商品を患者さんに用いて、その結果を学会発表や論文という形で公表します。これらの結果は、エビデンス(Clinical Evidence)と呼ばれます。
一般的には、個々の研究のエビデンスが蓄積されると、メタ分析と呼ばれる複数の研究結果を分析した論文が出されます。
メタ分析により安全性・有効性が示された治療法は専門医の学会などが発行されるガイドラインでもエビデンスのレベルが高い、つまり信頼できる治療・診断法として推奨され、より多くの医師に取り入れられる可能性が高くなります。
詳しくはプロモーションのところで書きますが、エビデンスの蓄積を加速させるため、医療機関の研究支援を行うことも医療機器・医薬品メーカーが行なっている活動の一つです。
販売後も研究を行うことで、安全性・有効性の証拠 (Clinical Evidence)を積み重ね、商品の価値を高めることができます
医薬品・医療機器の製品開発競争の特徴
競争の観点ですが、治験の情報が公開されていること、治験の成果が論文や学会発表の形で公開されることから、医療機器・医薬品業界では、他の企業が何年後にどんな製品をどのようなメッセージで出してくるのか、をかなり正確に予測することができます。
競争力の高い企業は、数年後に他社が出してくるであろう新しい治療・診断方法が脅威であっても、エビデンスを積み重ねることで既存の確立している治療・診断方法を確立し、積み重ねのない新しい治療法が浸透しにくくなるような環境を作っています。
これは他の業界ではあまり見られない特徴でして、商品の導入計画を練るときには、この特徴を理解しておく必要があります。
まとめ:医療機器・医薬品のユニークな点
まとめると、医療機器・製薬業界での商品について、他の商品と異なる特徴は以下です。
- 治験・規制・保険承認のプロセスがあるため、商品開発までの期間が長く、製品のライフサイクルも長い
- 商品のバリュープロポジションはデータの裏付けで訴求する必要がある
- 商品が発売された後にも、臨床研究の成果(エビデンス)を蓄積するという方法により、商品の安全性・有用性の評価を高めることができ、参入障壁を築くことができる
- 競合が何年後に何を出してくるのか、何を訴求してくるのかをかなり正確に予測できる。逆に言えば、こちらの動きは他の競合にも見えている。
これがどうしてユニークなのかは、他の商品と比べるとわかりやすいです。例えば、コカコーラやアサヒをはじめとする飲料の業界では、毎年数十以上の新商品が発売され、多くが一年以内に消えていきます。
新商品開発は革新的な場合は開発に時間がかかることもありますが、トクホなどの医学的な訴求をする商品を除けば、治験や規制当局の承認のプロセスが必要ないことから、一般的には新製品発売までの期間は1-2年と短いです。
また、データの裏付けが必要ないことも多いため、「炭酸の刺激と独特の味わいで、ココロとカラダの両方をリフレッシュ」(コカコーラのブランドメッセージ)のようなメッセージを自由に出せます。
競合が何を出してくるかの予測も困難ですし、こちらの動きも競合からは見えていません。
以上のように、マーケティングの視点からすると、医療機器・製薬業界では一つ一つの製品について、データを元にした機能価値を訴えやすいこと、すでに出ている製品自体の魅力を臨床研究により高めることができること、市場と競合の動きを予想した上でどのように差別化するかを考えやすいこと、という点で他の業界と異なります。
一歩進めて考えれば、どんな価値訴求をしたいのかを明確にした上で治験を組み立て、発売後にどのような臨床研究を医療機関と行なっていくのか、というエビデンス戦略がマーケティングの一部となっているとも言えます。
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