Trip to New Orleans

ルイジアナ州にあるニューオーリンズに二泊三日の週末旅行に行ってきました。ニューオーリンズといえば2005年のハリケーンカトリーナで大きな被害を受けたことで日本でも名前が知られるようになった都市かと思いますが、アメリカ国内では洪水前、洪水からの復興後ともに旅行先として人気です。ニューオーリンズ、魅力がたっぷりある街でした。

ジャズ

ニューオーリンズへ来て外せないのはやはりジャズでしょう。ニューオーリンズはジャズの発祥の地と呼ばれるほどジャズの歴史のある都市で、街中に音楽が溢れています。昼にはFrench QuarterにあるJackson Squareの周りでは手相占い、絵描きに加えて音楽を演奏している人がおり、メイン通りであるBourbon Streetでもいつも誰かしらが音楽を演奏しています。また、ニューオーリンズの夜はとても賑やかで、Bourbon Streetを歩くとそこらかしこからライブ音楽が聞こえてきます。

僕らは初日の夜はMaison Bourbonに行き、二日目の夜はPreservation Hall(ジャズの文化保存を目的とした施設)でライブを聴きました。前者は飲み物一杯(Abita Beer $5)から好きなだけジャズを聴くことができ、バーホッピングをするのにも使いやすいお店です。後者は、入場料$20で飲み物販売やトイレなどなく、純粋にジャズを聴くためだけの場所で、1時間おきの総入れ替え制。週末ということもあり僕たちは30分前から並んでいましたが、座ることができませんでした。どちらも演奏は良かったのですが、後者ではアドリブで演者同士の掛け合いを見ることができたことと、ドラムのアドリブがとても良かったため、後者がより印象に残りました。Maison Bourbonは深夜まで営業しているため、一泊だけの滞在でも両方訪れることは可能かと思います。

グルメ

アメリカ生活もそろそろ丸3年となり、ピザやハンバーガーも普段の食事となっているのですが、やはり大味な印象が否めないアメリカでの食事。ニューオーリンズではそんなアメリカでの印象を変えてくれるような、美味しい食事に出会えました。

ニューオーリンズ名物といえばスパイシーなケイジャン料理、ややハイソなクレオール料理があります。代表的なのはスープ料理のGumbo、パエリアのようなJambalaya。Gumboにはお米が入っていることも多く、お米が主食の日本人の口にはとても合います。

僕らのお気に入りは630 St Peter St, New Orleans, LA 70116にあるGumbo Shop。ここのGumbo、Jambalayaは滞在中で食べた食事の中でも最も美味しく、二度足を運びました。価格もGumboのカップが$5、ボウルで$10、ジャンバラヤが$15程度と標準的なので、おすすめです。

甘いものが食べたくなった時におすすめなのがCafe Du Mondeのドーナッツ、ベニエ( beignet)。砂糖の粉がドーナッツの上にかかっており、癖になるような甘さ。ここは非常に人気でいつも行列ができているのですが、比較的空いているtake outの列もあるので、時間に余裕がない場合はそちらに行っても良いかもしれません。Cafe Au Laitと一緒にどうぞ。

高級感のある雰囲気の中で、クレオール料理を楽しみたいのであれば、The Court of Two Sistersで注文した$45の前菜、メイン、デザートのセットも良かったです。メイン一品は$30程度のものが多く、二人で$100を超える可能性が高く、価格帯はやや高め。

第二次世界大戦博物館

今回の旅行の一番の収穫はこの博物館と言っても良いでしょう。ニューオーリンズにある第二次世界大戦博物館はこのためだけにニューオーリンズに来る価値があると言えるほど充実している博物館です。

博物館では、アメリカの視点から、第二次世界大戦がどうして起きたか、どう進展していったのか、アメリカがどうして参戦を決めたのか、各戦場で何が起き、連合国がどのように意思決定をして、どのように戦況が変わっていったのか、が詳細に展示されています。この博物館が特に優れていると感じた理由は3つあります。

1つ目は内容の深さと広さです。第二次世界大戦を戦略、戦術レベルで詳細に記述した博物館はおそらく世界で唯一なのではないかと思います。僕自身、東京の靖国神社、広島の原爆ドームや長崎の原爆資料館、韓国の戦争記念館、イスラエルのホロコースト記念館など第二次世界大戦に関わる博物館を訪れてきましたが、どれもその国・民族や被害者に焦点を当てたものが多く、戦争がどのように起きて、どのように進展していったかを世界のレベルで解説したものはなかったように思います。この第二次世界大戦博物館はD-Day(ノルマンディー上陸作戦)やMidwayでの海戦がどうして戦争のターニングポイントになったのか、その裏でどのような外交上の駆け引きや準備が行われていたのか、についてかなり詳しく触れられており、マクロのレベルでの情勢を学ぶことができます 。加えて、ミクロのレベルでも各国の意思決定の様子についても触れており 、例えば山本五十六がアメリカとの戦争は長期戦では生産力の違いから負けると考えていたことや、沖縄が奪われた後も日本の首脳部は九州で巻き返しを図って講和の条件を良くしようと考えていたことなど、意思決定がどのようにされていたかについても学びがあると思います 。

2つ目は展示方法です。多くの博物館が展示物とその説明のボードで構成されているのに対して、この博物館は映像、音声、展示物が豊富で、その組み合わせも優れています。一例をあげると、各ブロックにはほぼ確実に当時の映像や解説映像が流されており、展示物を見ずとも、歩いて映像だけを見るだけでも概要が分かるようになっています。来館者は皆が皆展示物を全てじっくり見る訳ではないので、これは良い工夫。また、音声や映像は人の注目を引くため、子供も含めた来館者の関心を引きやすく、飽きさせないという点でも優れています。

3つ目は併設された映画施設です。現在、この博物館では4Dの映画を二本上映しており、その品質が非常に高い。メガネなし3Dの映像に加え、椅子は振動で震えますし、上映中に飛行機の一部が上から降りてきたり、舞台下から当時使われていた軍事用物資が上がってきたりと臨場感たっぷり。ストーリーもアメリカ人の心を震わせるような、ピンチから一転、愛国心で国民が団結して悪の枢軸をやっつける、というハリウッド映画の王道展開に沿って作られており、なかなか楽しませてくれます。長さも40分と時間の限られた観光客にとってもちょうどいい分量です。

以上のようにコンテンツの量・質ともに高く、魅せ方も革新的で、加えて良い出来の4D映画館までついているというこの博物館。トリップアドバイザーの世界博物館ランキングでも世界第2位に選ばれるのも納得です。

日本からはるばるニューオーリンズ目当てに行く人はあまり多くはないかもしれませんが、魅力溢れる街ですので、おすすめです。

HBS 1 Year Reunion

昨日、一昨日とボストンへ行き、HBSの1 Year Reunion(卒業生の同期会)に妻と参加してきました。HBSを卒業すると5年に一度Reunionが行われるのですが、最近は卒業後の関係を強めるためなのか、卒業1年後にもReunionが行われています。Class of 2017の出席率は70%超と高めで、アジアや中南米からもそれなりの同級生がReunion参加のためにボストンへ来ていました。

コンテンツ自体は卒業後に起業した人の話やそれぞれの近況報告とあまり内容が濃いものではなかったです。一方で、同級生と久方ぶりに会い、話すことは想像以上に価値がありました。以下、気づいた点です。

  • 今はコンサルティング、ヘッジファンド、プライベートエクイティに勤めている人が多い

HBSの統計にも出ているのですが、卒業後の進路は上記の三つがやはり多いです。僕のセクションではReunionで60人程度が集まったのですが、その中でもMcKinsey、BCG、Bainで15人程度いましたし、ヘッジファンドやプライベートエクイティも約10人いました。一方、スタートアップを卒業後にしていた人は上手くいっている人もいれば、あまり軌道に乗らずに一旦は就職したりで、今回来ていた人の中で今も起業を続けているセクションメイトは2人。4年後再び会う時にはもっとばらけているのかと思いますが、やはり一旦は高い給料が稼げる職について借金を返し、その後に好きなことをしよう、という考えが多いように思います。

  • 中西部と東・西海岸の価値観は異なる

HBSに戻ってきて改めて感じたのは、東・西海岸のキャリア重視の価値観。ミネソタは家族との時間を平日にもしっかりとり、週末には親族と時間を過ごしたりと密な親族関係を大事にしているのに対して、ニューヨークやサンフランシスコなどの沿岸部の大都市に住んでいる友人たち(つまり多くのHBS生)は平日はほぼ仕事、家族は違う都市に住んでいるから会うのは年に数回など、よりキャリアを重視しているように思います。どちらの価値観も良いと思いますし、人生のステージによって大事にするものも変わっていくものだと思いますが、ミネソタでの生活を10ヶ月近くしてきた自分がどれだけミネソタの価値観に影響を受けてきたかに気づき、「ああ、これだけの価値観や生活習慣の違いがあるのだな」と改めて感じました。

  • 同級生と話すことの楽しさ

同級生と話していて気づいたのは、彼らの議論に対する感度の良さ。ある話題を振った時に、それに対して自分はこう思うとか、自分だったらこうする、ということを簡潔かつ理由も含めてすぐに言える人が多いように感じました。例えば、「自分が幸せだと感じているとしたら、これ以上何を望むべきなのか」という点について議論をした時には、「家族を大切にして、家族に何かを残すというのも立派な生き方だと思う。ただ、それ以上に社会に何かを残したいという想いがあるのであれば、社会に対してのインパクトを追い求めても良いのではないか。例えば僕の場合では〜〜〜」、という意見がパッと出てくるなど、授業さながらの議論が普通の会話の中に出てきました。それぞれが自分自身の価値観や軸を理解した上で議論をする力があるので、一緒に話をしていると楽しい。議論をする力や自分自身の軸を見つけることはまさしくHBSでトレーニングしてきたこと。HBSにいた時には当たり前過ぎて気づかなかったのですが、卒業後の今は、そういう友人と会話ができることは貴重な機会だと感じます。

  • 世界中に共通の価値観を持った友人がいるということのありがたさ

今回のReunionで改めて感じたのは、世界中に様々な分野で挑戦をしている友人がいるということ。僕の次の行き先であるオーストラリアにも同級生がいますし、7月に参加する予定のロンドンでの結婚式でもアメリカ、欧州から集まった同級生と会う機会がある。政治コンサルティングをしているフランス人の同級生と最近のアメリカ情勢について話をしたり、Google本社に勤めているアメリカ人の同級生と各国選挙に関するGoogleの新しいサーチ機能について話をしたり。HBSは一学年に900人以上いるマンモス校なので、それだけネットワークは広いというのは入学前にも認識はしていましたが、卒業して皆がそれぞれの分野に進んだ今、改めてそれが事実だと感じます。これは仕事の面、個人の面のどちらの繋がりという点でもありがたく、この繋がりだけでも価値があると感じました。

全体を通して、1年後のReunionは、友人から刺激をもらえ、かつ旧交を温めることができるという点で、多くの友人と離れてしまっている人にとっては良いイベントではないかと思いました。特に僕のようにニューヨーク、ボストン、サンフランシスコといったHBS卒業生が多く集まる都市から離れて暮らしている人にとっては、良い機会となりました。

2017年の振り返りと2018年

あけましておめでとうございます。米国でも新年を迎えました。

就職したこともあり、どこまで書こうかと考えているうちにあっという間に時が過ぎてしまいました。2017年は、HBSを卒業して、アメリカ中西部に移り住み、米国企業の本社で働く、という新しい挑戦が始まった年になりました。妻もミネソタ大学の大学院生となり大学院生活を始め、友人が増えるなど、夫婦揃って米国での地盤が固まりました。「HBSで学んだことが活きていますか?」と聞かれることもあるので、その観点から振り返ってみます。

米国生活は想像以上に恵まれたものになっています。友人関係でいえば、HBS時代の友人のうち何人かもミネアポリスで働き始めたため、そもそもの友人のベースがあります。飛行機で2時間以内には中西部大都市のシカゴがあるため、シカゴにも友人がそれなりの数います。昨年は一度シカゴで友人たちと再会しました。加えて、会社の同期がとても良い友人となり定期的に家で会ったり、妻の友人が僕の友人になったり、ミネソタで新たに入ったコミュニティでできた友人がいるなど、週末に過ごす相手には困まりません。こうやって新しい場所でもすでに友人のベースがあることと、新しい場所でもスムーズに友人ができるようになったのは、やはりHBSでの2年間があったからだと思いますし、留学当初はできなかったことが今はできるようになっていると思います。

仕事の面でも順調で、良いスタートが切れたという印象です。最初の3ヶ月は成果を出して信頼を勝ち取ろうと、自分の強みである分析、戦略戦術策定にフォーカスして仕事をこなしました。幸いにも高い評価をいただけ、信頼を得ることができ、その後の3ヶ月は様々な仕事を任せてもらえるようになりました。HBSにて約500ケースをこなして磨かれた分析と戦略・戦術策定の力と多面的に物事を見る視点は、成果を出す上で役立っていると感じています。また、最初の数ヶ月はチームの中で人間関係を築くことにまずは力を注ぐべしという教えを守ったためか、スムーズにチームに溶け込むことがでました。この点もHBSで学んだ中で有益だった点です。

HBSでは、”Good Business Foundation”、”Network”、”Career Change Opportunity”が得られると以前書きましたが、まさしくそれが活きた2017年でした。

また、もう少し長いスパンで振り返ると、大学時代に「10年後までに、世界のどこでも、多くの人を巻き込んで、新しいビジネス・商品を生み出せる人になる」と決めてから、2018年で約10年となります。今、海外でそういう仕事についているというのは、目標を持って一歩ずつ進んでいったことの成果なのかもしれません。

2018年は中頃に米国生活に一区切りをつけ、海外赴任で今度はアジア・パシフィックのどこかの国に行く予定です。世界のどこでも働けるようになるため、新しい国で自分を試してみたいと思っており、今回はそのまたとない機会となります。僕自身、様々なチャレンジを常にしていた方が活き活きとしていられますし、”a rolling stone gathers no moss”のような生き方が好きなのかもしれません。さあ、新たな挑戦の一年です。

アメリカ中西部生活のコストのリアル

働き始めて2ヶ月目となったので、だいたいこの場所で生活するとどれくらいコストがかかるか分かるようになってきた。一つの目安として、ミネアポリス都市部に住む二人暮らしの生活の基盤のコストが月当たりどれくらいするのかを書いてみる(数字は計算しやすいように丸めてます)。

家賃・光熱費: $1,950 (2 bed room, near the University of Minnesota)

MinneapolisはNew York、San FranciscoといったTier 1都市と比べれば家賃ははるかに安い。僕らは大学へのアクセスを重視し(妻が大学院に通うため)、仕事・勉強部屋をベッドルーム以外に持つことにして、ミネソタ大学近くのアパートメントの2ベッドルームに住んでいるが、それでも月$1,810だ。2人の単身者がルームシェアすると、月$900です済む。最も家賃が高い都市ではないボストンですら大学のアパートでルームシェアをしても月$1,300くらいはかかっていたので(ただし光熱費・ガス代・水道代は込み)、それと比べても20%は安い印象だ。サンフランシスコの友人は1ベッドで月$3,000を払っているということなので、Tier 1の都市よりは家賃はだいぶ抑えられる。$1,800はかなり良い物件の方なので、郊外に住めばおそらく$1,000台前半で2ベッドルームが見つかるだろう。

光熱費は2ベッドルームでだいたい$150くらい(インターネット、水道、ガス、電気、ゴミ)。エネチェンジの情報が正しいとすると、日本は水道代、ガス代、電気代だけで二人暮らしで月平均20,000円ということなので、これはおそらく日本より安い。

交通: ガレージ付駐車場 $150、リース$450、自動車保険$200、ガソリン $50

働く場合、ほとんどのケースで車は必需品。ただそれを反映してか駐車場の料金もいわゆるTier 1都市よりは安い。僕は冬場も暖房が入っている駐車場を借りたのでミネアポリスの中では比較的高い料金($150)を支払っている。この辺りでは普通は$100くらいが相場のようだ。ただし$100では路上駐車や屋根だけで暖房なしの場合もあり、冬に雪かきをしたり凍えるような思いをして車まで行かないといけないこともあるらしいので、個人的には$150でも必要経費かなと考えている。

車は中古を購入することも考えたが、売り買いの手間やメンテナンス費用がかかることと、1年で違う都市に移る可能性が高いため、結局1年間のリース契約にした。車は2015年発売のHonda Fit。購入すると$16,000+Auto Tax 6.5%で、1年後に価値が$14,000まで落ちて、売却価格が価値の70%になると仮定すると、だいたい1年間の利用価値が$7,000ほど。なんだかんだでメンテナンスで$1,000くらいかかることもある。だったら$450を月々支払ってしまった方が、$6,000/年、なので安い。2年以上いる前提や売却先の目処が立っているのであれば購入が良いと思うが、短期滞在の場合ではリースは有力な選択肢なのではないかと思う。

保険料は正直結構高い。理由は僕がアメリカでの自動車保険をこれまで持っておらず、しかも自動車保険に入っていなかったため、と、万が一を考えて補償を厚めにしているから。アメリカの自動車保険は日本と異なり、対人無制限が一般的ではなく、普通に対人賠償$100,000からが一般的な見積もりとして出てくる。訴訟大国アメリカでこれだけの補償だと正直、保険にならないので、僕は基本契約を$500,000までの補償にして、加えて$1,000,000までの補償を行ってくれるumbrella insuranceにも加入した。American Familyで申し込んで、基本契約の方が月々$250ほどでumbrellaの方が月々$15ほど。この金額は運転免許が届くまでの国際免許で運転している今月のみの数字で、届いた後は1ヶ月あたり約$170とかなりディスカウントされた。それだけ国際免許の人は事故を起こしやすいということか。

ディスカウントされても月々の車の保険料は$150を超え、これは同じ地区に住むアメリカ人と比較するとやや高い数字(僕の住む地域の平均は$130)。これはアメリカでのヒストリーのないインターナショナル生にとってはどうしようもない話で、結局最初は高めの月々のプレミアムを支払って、信用を積み重ねて、ディスカウントをもらうしかない。クレジットヒストリーもそうだが、この国はヒストリーが仕組みの中に組み込まれているために、良いヒストリーを戦略的に蓄積させていくことが非常に大事だ。

ガソリン代は移動距離によって大きく異なるが、10マイル(約16km)離れた場所に毎日通勤して休日も同じくらい移動して、1ガロンあたり40 mile走るとすると(これはかなり燃費の悪い車や渋滞の場所を走ることが多い前提で、新しい車ならばもっと燃費が良い)、 10 × 2 × 30 ÷ 40=15 gallon。よって、1 gallonn当たり$2.5くらいなので多めに見積もってもだいたい$50だ。僕は実際に今月、先月ともにより少なかった。

健康保険: $400

日本は国民皆保険で、労使折半の場合、基本的には年収の約5%が健康保険料として取られるかと思うが、こちらではどのプランに申し込むかによって価格が異なり、年収比例ではない。保険の仕組みは民間、政府、病院の仲介機関がそれぞれ複雑怪奇に絡み合っていてこれだけで1冊の本が書けるくらい複雑な国なので、ここでは詳しくは書かないが、僕は会社が提供するPPOという比較的自由度が高く、補償の割合も高いプランに申し込んでいて、妻は大学が提供しているプランに申し込んでいる。会社または大学が一部を支払ってくれているため、内容の割に保険料は結構抑えられている。

これが個人で同じような内容で申し込むとすると、おそらく2倍はかかるだろう。そういう点で、どこにも属していない人に厳しい社会だなと思う。

通信費: $100

Verizonで2人分の回線+月々4GBまで。Verizonは高いのだが、HBS特典で安かったのと、郊外での通信品質も一番高いという評価なので、使い続けている。Sprintに切り替えると$70でさらにデータ上限も上がるらしいのだけれど、これも価格よりも品質を取っている。

インフラ系合計: $3,300

以上をまとめると、食費や日常品購入費などの変動費を除く、削りにくいインフラ系だけで計$3,300だ。日本の物価水準からしたら高いが、こちらの物価水準(ボストン、ニューヨーク、サンフランシスコなど)からすると、特に家賃がかなり安く、友人の話を聞いていると感覚的にはおそらく20%以上安い。僕はconvenienceとrisk transferをかなり優先しているが、本当にコストにこだわれば郊外に住んだり、保険を削ったりすればあと$800くらいは減らせるだろう(ただその分、不便になったりいざという時の支払いリスクに自分と家族を晒すことになるというトレードオフがある)。ということで、日本人夫婦の二人暮らしの生活コストとしては、ミネアポリスでは食費を除いても$3,000は見ておいた方が良い気がする。一人暮らしでルームシェアをする場合は、家賃が$800くらいで済んだりと、もちろんもっと安くなる。

ミネアポリスに住む際の参考になれば!

免許について

広大な土地を有するアメリカでは、一部の都市部を除いては車があることが前提の生活になっており、住居の次に確保する必要があるのが車。これがまた予想以上に大変だった。僕にとってはHBSでの試験より正直大変だった気がする。

僕の場合、日本ではずっと東京に住んでいたため車を持つ必要がなく、免許は持っているけれど完全なペーパードライバー。教習所後に運転したのも片手で数えるほどしかない、という状態でアメリカに来た。その後もボストンでは妻との二人暮らしで子供の送り迎えなども必要なく、徒歩圏内でスーパーやレストランもあり、少し離れた目的地にはUberやLyftといったライドシェアのサービスを使って行っていたため、ボストンでは車がなくとも全く困らなかった。

一方、卒業後に来たミネアポリスは中西部らしい車社会。Light Railという路面電車は使い勝手が悪くはないが、なにぶん駅の近くにスーパーがあるわけではないし、そもそも勤務先付近まで駅は伸びていない。一応バスもあるが、こちらもほとんど都市部内だけの移動手段なので、車がないと僕の場合は会社にすら行けない。つまり、運転ができないと働くことすらできない。

もう車に乗るしかない、と決めて練習してから約1.5ヶ月。先日ようやく免許を取得することができた。筆記試験は覚えれば良いだけなので一発ですんなりと合格。続く実技試験場(Eaganというミネアポリスの南の場所)へは以後2-3週間おきに計3回も行くことになった(1回目は路上試験前の準備段階で”Defroster”の場所を知らなかったことで試験を受けさせてもらえなかった。その後路上試験で2回落ちた。。。)

路上試験1回目。試験官は優しそうな女性。最初のうちは順調で、縦列駐車と90度パーキングはこなすも、次右折、次左折、と次々に言われて、それをこなしているうちに、日本で学んだことの癖か、右折時に大回りして反対車線に入ってしまう。これで一発アウト。アメリカの実技試験ではCritical Errorといういわゆるレッドカードがあり、反対車線に入ってしまうのはこのエラーに当たる。確かに実際の道路でやったら危ないから納得なのだが、一発アウトというのは結構シビア。次の試験の予約は2週間後以降しかできないため、2週間後の試験を予約。

路上試験2回目。教官は若くて割としっかりとした男性。今回は練習してきたためいけるだろうと思って気合を入れるが、緊張していたためか90度パーキングでポールに後ろを当ててしまう。これもCritical Errorでレッドカード。それ以外にも一方通行の道路に入る際に入るレーンを間違えたのでレッドカード2枚目。これはさすがに落ち込んだ。次の試験の予約は2週間後と言われたが、夏は予約が取りにくく、次の予約の最短は8週間後の9月だと言われ、かなり焦る。すでに試験を受けてから1ヶ月が経過してしまっていたため、次が8週間後の試験だと問題になる。

なぜかというと、ミネソタは法律上、ミネソタに着いてから60日以内に運転免許を取らないと運転ができなくなるからだ。つまり通常は1年間有効なはずの国際免許証がこの州では60日間までで、それを過ぎると国際免許証で運転していても無免許運転状態になってしまう。僕の場合、1ヶ月+8週間、だと60日間を超えるので、車に乗れなくなってしまう。乗るというリスクを取ることも考えたが、労働ビザで来ていて無免許運転で捕まって強制送還はシャレにならない。

何とか他の場所で受けられないか、どうしたら良いのだ、と粘ってみると、「毎日朝8時に新しいスポットが空くかもしれないからここに電話しろ」と言われ、窓口ではにべもない対応。これがアメリカの悪名高きDMVか、と感じながら、翌日以降朝に電話をかける日々が始まる。まるでコンサートのチケットを取るようだったが、幸いにも翌々日には2.5週間後の予約を取ることができた。

予約が取れた喜びもつかの間、ミネソタ州は4回試験に落ちると6時間の教習所研修を受けてからでないと再試験が受けられず、とても面倒なことになる。そのため、次の試験は何としてでも負けられない戦いとなった。

もうこれは誰かに頼るしかない、と個人インストラクターのPaulを雇って4時間トレーニングした。トレーニングの内容自体も良かったものの、それ以上に良かったのはPaulが試験で何が問われるか、何が見られているか、を教えてくれた点。何も書いていない道路は「両側2車線ずつの4車線だと思って走れ」、とか「信号のない交差点でもスピードを落として首を思いっきり右左に回して確認していることを見せろ」とか正直、誰かに聞かないとどうにもならない暗黙の前提があったため、これは必要だったと思う。

路上試験3回目の試験官はラテン系の若い男性。始まる前に今日は良い日になると良いね、と言ってくれたりとかなり感じの良い人。試験内容自体は前2回とほぼ変わらず、さすがにこちらも慣れているのでほぼパーフェクト。試験は10分ほどで終了し、合格、と言われた。今回も落ちて無免許状態になりたくないというプレッシャーが強かったため、相当しんどい2週間だったが、無事に合格することができた。練習中は夢にまで縦列駐車をしている自分の姿を見た。TOEFLと同様にもう2度と受けたくない試験だ。

以上の経験を踏まえて、日本からアメリカに来るペーパードライバーの方へのアドバイス。

  1. インストラクターを雇おう。地域にもよるかと思うが、6時間$300くらいで個人レッスンを受けられるはず。実技試験は知らないと一発で引っかかる点があるため、実技で失敗して学ぶ時間を考えると、インストラクターに教えてもらってから受けた方が良い。
  2. 早朝または夜の駐車場などでコーンを立てて、縦列駐車と90度パーキングの練習をしよう。アメリカの車は日本の中型車と比べても大きい。ここまで行けるという車体感覚が結構違うと思うので、甘く見ずに練習した方が良い。
  3. DefrosterやLightを確認しよう。レンタカーの場合、どこにあるか分からないことがある。僕はこれで1回分無駄にしてしまったので(まさかdefrosterの場所が分からないだけで路上試験を受けられないなんてことがあるとは思ってもみなかった・・・)、気をつけよう。
  4. DMVは夏、月末は混むのでタイミングを気をつけよう。並ぶだけで結構時間がかかるし、次の予約は8週間後以降です、などと平気で言われるので。。。

実技試験は簡単という人もいるが、一発アウトの落とし穴は結構ハマりやすく、非アメリカ人の僕の友人にも試験に複数回落ちている人が何人かいるので、運転経験が少ない人は甘く見ずに対策した方が良いと思う。良いアメリカ生活を!

HBSを卒業しました

HBSを5月25日に卒業しました。当日はあいにくの雨で、午前中のHarvard YardでのHarvard全体の卒業式、および午後のHBSでの卒業証書授与式は濡れながらの参加となりました。天候も含め、思い出に残る卒業式になりました。

午後のHarvard YardでのスピーチはMark Zuckerbergが行いました。Campaign Speechかと感じさせるような要素もありましたが、①”Purpose”を持つこと、②まずやってみること、③コミュニティへの貢献、の大切さに僕は共感しました。”There is always someone who wants to slow you down”のラインには特にそうだよな、と。

卒業式は終わりであり、始まりでもあります。これから世の中に対してどのように影響を与えていくか、が勝負。卒業生として恥じない活動をすることで、HBSにも貢献していきたいと思います。


僕は卒業後はミネソタ州のMinneapolisに移り、新しい挑戦をすることになります。それに伴って、ブログのタイトルも変えようと思います。守秘義務があり職務関連の内容は書けず、ブログの更新頻度も落ちる可能性が高いですが、MBA後に海外で就職して働くという選択肢をとるとどのような生活になるのか、をメインで伝えられたらと思います。

2年生春学期の振り返り

2年生の春学期が終わった。これまでの1年生2年生の秋学期と続いてきて、これがHBSでの最後の学期となる。振り返ってみたい。

学業

春学期は最後の学期ということもあり、先学期より2科目を増やし、”Launching Tech Ventures”、”Scaling Tech Ventures”、”Strategic IQ”、”Designing Competitive Organization”、”General Management Processes and Action”、”U.S. Healthcare Strategy”、”Innovating in Healthcare”の7科目を履修した。また、学期最後の3日間は”Bridges”という卒業後のキャリアや生き方を考えるセッションを履修した。

“Launching Tech Ventures”からはProduct Market Fit(製品がお客さんのニーズに合っており、かつビジネスとして成り立つことが確認できること)を実現するために製品・サービス、成長戦略、営業・マーケティングについて考慮すべき点やCustomer Life Time Value(顧客生涯価値)、Customer Acquisition Cost(顧客獲得コスト)をいかに測定し、改善していくかについて学んだ。”Scaling Tech Ventures”では6S (Staff, Shared Value, System/Structure, Series, Scope, Speed)のフレームワークに基づいて、Product Market Fitを実現したスタートアップをいかに急成長させていくべきかについて学んだ。”Strategic IQ”からは競争力を持続するために、環境に合わせて変化し、実験から学び続ける企業をいかに実現させるかについて学んだ。”Designing Competitive Organization”からは戦略を実行する組織に必要な7つの要素を学んだ。”General Management Processes and Action”からは、いかに経営者として意思決定、組織学習 、変化のプロセスを設計し、実行していくかを学んだ。”U.S. Healthcare Strategy”と”Innovating in Healthcare”からは米国ヘルスケア業界の知識とその中で成功するための条件を学んだ。成績は全て「2」以上でStrategic IQとDesigning Competitive Organizationは「1」だったので、目標達成だ。

授業からも学びが多かったが、最も印象深かったのはBridgesの最終日に聞いた、Clayton Christensen教授のHow will you measure your life?”の講義だった。この講義の中で、教授は企業の戦略・組織の理論を人生にあてはめて、「いかに人生を自分の生きたいように生きるか」、ということを語った。

Clayton Christensenは実務家としても教授としても成功した人だが、彼は自分が最も大切にしてきたのは家族と5人の子供を育てることだと言う。彼は土曜日と日曜日は家族のための時間にすると決め、自分の決意を同僚や上司にも話して土日に仕事が入らないような環境を作り出し、それを実行してきた。彼は、「何を人生において成し遂げたいか、どうやってそれを実現するか、そのために自分の時間という資源をどのように配分するかを考えないと、年収や地位など目に見えやすい成果を追い求めて仕事のみに時間を割いてしまい、結果として本当に得たいものを得られなくなってしまう」と語った。彼の講義は示唆に富み、どのように生きるべきかについて考える良い機会となった。また、脳梗塞など大病を患いながらもリハビリを繰り返して教壇に復帰し、学生に教えることを止めず、教壇に立ち続けるその姿は人知を超えた神々しさすら感じさせ、彼の一言一言が胸に刺さった。 体調悪化のために来年からは講義をさらに縮小するということで、彼の講義を受けることができるうちにHBSに在籍できたことは幸運だったと思う。

友人、課外活動 

春学期は秋学期に引き続き、週に1-2回友人を招いてホームディナーを行った。春学期中はアメリカのトランプ政権の100日間、イギリスのBrexit交渉の進展、フランスではルペンの台頭、と特に西側諸国の政治で大きな変化があったので、それらを話しながらのディナーは楽しいと同時に、そういう見方もあるのか、と視点を広げるきっかけにもなった。また、妻が作る肉じゃがや手巻き寿司は友人たちに好評で、友人たちと仲を深める良い機会となった。

また、Bridgesの期間中は約1年ぶりにセクション(クラス)で集まり、ケースディスカッションを行なったが、まるで地元に帰ったような懐かしさを感じ、HBSはやはりこのセクションの体験がユニークだと感じた。1年間を共に過ごした93人の仲間とは卒業後も大学主導の5年に一度の同窓会でボストンで集まることになる。93人の仲間の進路はまさしく国も業界も様々で、彼らと今後の人生を共に歩んで、時々にお互いの近況報告をし合えると思うとワクワクする。65周年まで同窓会が開かれるということなのでいつまで参加できるかは分からないが、体がついていく限り、できるだけ長く参加したいと思う。

課外活動としては、文科省のスーパーグローバル・ハイスクールに採択されている長野県上田高等学校の生徒17人が高校のプログラムでボストンに来た際に、スタートアップに関する講義をHBSで行った。彼ら・彼女らは非常に熱心に講義を聴いてくれ、質問も活発に出て盛り上がった。僕としても何かを教えることは楽しく、卒業後もこの2年間で学んだものを継続的に社会に還元していきたいと思う。

加えて、今学期もHarvard Business Schoolの公式ブログの管理とこの個人ブログも書き続けて、こちらで学んだことを発信し続けた。2年間続けた個人ブログは今年のHBSの合格者の中でも読んでいた人が多く、HBSやMBAの実情を伝えることに少しでも貢献ができたのではないかと思う。 

また、最終授業から卒業式の間の5月中旬にHKS (Harvard Kennedy School)主催のIsrael Trekに妻と参加し、こちらも多くの学びと新しい繋がりを与えてくれた。旅行でもアイスランドとベリーズへ行ったりと、今学期はかなり見聞を広めることができたと思う。

キャリア

今学期は”Innovating in Healthcare”という授業の一環でBoston Children’s HospitalのBioinformaticsチームの依頼を受け、同級生2人とともにSMARTというIT Platformのビジネスプランを策定した。SMARTは互換性が低い米国の病院・クリニック向けのEMR (Electronic Medical Records)向けに互換性のあるソフトウェアを提供するためのプラットフォームという位置付けで、米国保健局(National Institutes of Health)からも支援を受けているNPOが運営している。

SMART: https://smarthealthit.org/

このプロジェクトを選んだ理由は、「病院・クリニック間の情報共有を促進させることで、効果的かつ効率的に患者さんに適した治療法を見つけやすくする」という点で、僕の将来のテーマに繋がると考えたからだ。

このプロジェクトを通じ、米国のITシステム業界がどのようになっているのかについてや、病院・クリニックの購買の意思決定者や意思決定プロセスについての理解が深まった。米国のITシステム業界は広く、統一された規格がないため、各企業が独立した規格を用いてソフトウェアのベンダーを抱え込んでいるため、結果として病院間で用いているソフトの互換性がなく、ヘルスケアのシステムとして非効率な状態となっている上、新たに参入する企業にとっても各ベンダーに合わせた仕様を作らなければならず、コスト高に繋がっている。また、病院・クリニックの購買はIT担当だけでなく、実際に診療を行う診療部門やグループ病院との調整が必要で、提案から成約までの期間が1年から2年と長く、この意思決定の長さがスタートアップがヘルスケア業界に入る際の障壁となっている。このプロジェクトを通じて、ヘルスケアで新しいビジネスを起こす際にどのような壁を乗り越えるべきかを認識できた。

同級生の2人が特に優秀だったこともあり、プロジェクトの成果はクライアント、教授ともに高い評価をいただけた。今回のアウトプットはSMARTを運営するNPOが5月末に申請する補助金の土台となる予定だ。


全体を通じて、今学期は忙しい学期だった。通常5科目選択のところを、最後だから学べるだけ学ぼうと7科目選択したのだが、やはり結構多かった。加えてヘルスケア系の授業は新鮮で学ぶことが多い一方、僕は前提知識がないためにかなりそこに時間を使った。その分学ぶことが多かった上、ヘルスケア系のクラスメイトともより多くの繋がりを築けたという点で非常に実りが多かった。

HBSの学生とも定期的にホームディナーを行って仲を深められたと同時に、HKSのIsrael Trekに参加してHKSやHLSとの繋がりも夫婦で広げることができたのは非常に良かった。

もう少しできたか、と問われれば、できたこともあるのかもしれないが、得られたものには満足をしている。7月からは久方ぶりの仕事をする生活だ。新しい挑戦に、ワクワクしている。

HKS Israel Trek (2)

8日間のIsrael Trekでは学ぶことが非常に多かった。同時に、経済、社会についてや、日本についても考えさせられた。

経済

イスラエルはStart-up Nationと呼ばれるくらいスタートアップが盛んな国で、実際に人口あたりのスタートアップの数は世界一で、人口は約800万人と日本の1/15程度に関わらず、スタートアップの数は日本を上回っている。スタートアップの分野はハイテク関連が多く、例えばGoogleに買収されたナビゲーションのWAZEや自動運転のコア技術の一つでありIntelに買収されたMobileyeなどがイスラエルを代表する企業だ。

なぜスタートアップが多いのかについては、移民、徴兵制、文化の3つの理由が挙げられる。

1つ目は移民だ。イスラエルはユダヤ系の移民を積極的に受け入れており(一方、ユダヤ人以外が移民するのは非常に難しい)、アメリカ大陸、ヨーロッパ大陸からユダヤ人が移住してきている。後述するようにユダヤ系は教育に非常に力をいれる文化があり高等教育を受けた人の割合が高かったことに加え、若い層が多く、経済に貢献するだけでなく社会保障費も安いという理想的な移民だった。彼ら・彼女らがイスラエルに多様性のみならず経済的な恩恵ももたらした。

2つ目は徴兵制だ。イスラエルでは「ユダヤ人」は男女問わず兵役の義務があり*、男性は3年、女性は通常は男性よりもやや短い期間、軍に従事する。軍での経験は国民にとって、ただ単なる就業経験ではなく、教育・就業経験・ネットワーキングの場となっている。有名なのはスタートアップ創業者を多く排出している8200部隊だが、それ以外にもMedic(救護兵)として教育を受けて実務経験を積んだ後に医者になる人や、軍のレポーターを経験した後にテレビ局で勤めたりジャーナリストになる人もいる。加えて、軍の縦・横の繋がりは強く且つフラットで、兵役を終えた後にもその分野におけるネットワークを持つことになる。特にイスラエルではテルアビブにハイテク企業が集中しているため、ネットワークの密度が濃くなり、さらに効果的だ。

3つ目は文化だ。ユダヤ人は約2,000年の間、ヨーロッパや中東で迫害されてきた歴史を経験しており、土地や金融資産などの資産は政権次第で奪われるという感覚を共有している。その歴史から生まれた教訓として「実物・金融資産は奪われても頭の中までは奪われない」ということを知っており、それが教育に対する熱意に繋がっている。事実、イスラエルの大学進学率は日本を上回っている。

また、「権威に対する尊重がない文化」というのも現地で良く聞いた。日本やアメリカを始めとした多くの国では、上司に対して意見をする際に多少の遠慮があるのは通常かと思うが、イスラエルでは意見は意見として人と切り離し、はたから見るとちょっと言い過ぎなのではないかというラインまで意見をぶつけ合うとのこと。実際にKnesset (イスラエルにおける国会)を見学した時にも、与党の一人が教育の予算に関するスピーチをしている際にも関わらず、野党が「それは違う、兵器への予算を減らして教育により予算を振り分けるべきだ」とスピーチ中に割り込み、大声でスピーチの最中にディベートをやっていた。日米ではスピーチ中に割り込んで意見をするというのはかなり失礼なことで、この議論に対するハードルの低さがイノベーションに繋がっているのか、と感じた。

さらにユダヤ教を信仰するユダヤ人としての一体感もネットワークの形成に役立っている。ユダヤ人にとっての教会であるSynagogue(集まりそのもの、または集まる場所、という意味)では世代の異なる人が集まり、そこでの繋がりがビジネスに繋がることもある。また、イスラム教徒が圧倒的に多い中東の中ではユダヤ人は少数派であり、少数派の中で価値観を共有しているということで、より結びつきが強いように感じられた。

教育への熱意が高く、高等教育進学率が高い上に、軍隊の中での職業経験・ネットワーク形成が重なり、良質な人材が育成される。また、外部からは移民という形で異なった考え方をもつ人材が定期的に入ってくる。加えて前提を疑い徹底的に議論をするという文化があり、議論を通して新しいアイデアが生まれていく。こういった仕組みは今の日本に欠けているもので、スタートアップを生み出す環境づくりという点でシステムとして学べることが多いと感じた。

社会

イスラエルは上記で述べたようにイノベーションに対する受容度はとても高い国だが、安全に関わるような社会問題・安全保障に関することになると驚くほど保守的だ。これは日本からでは見えにくいことだったが、彼らの文脈を考えると多少なりとも理解できる。

一つ目は、国内のユダヤ系とアラブ系のイスラエル人の対立だ。この対立の背景には、イスラエルという国自体の成り立ちがアラブ人との戦争の歴史だということがある。1947年の国連決議を受けて1948年に独立宣言をして、そこからエジプト、シリア、イラク、レバノン、ヨルダン相手に生存権をかけた第一次中東戦争を戦った。1967年のSix-Day Warではこちらから戦争を仕掛けて、エジプトからシナイ半島、シリアからはゴラン高原、ヨルダンからは東エルサレムとヨルダン川西岸を奪った。(平和条約締結と同時にシナイ半島はエジプトへ返却した。それ以外は今に到るまで国際法上の違法占拠の状態が続いている。)1973年のYom Kippur Warにもエジプト、シリアとの戦争を行い、イスラエルの国土を防衛した。その後、エジプトとヨルダンとは平和条約を結んだが、シリアとは2017年現在も平和条約が結ばれておらず、ガザ地区を実効支配するハマス、レバノンを実効支配するヒズボラ、中東地域でシーア派の覇権を広げようとしているイランからも安全保障を脅かされており、平時とは言えない状況にある。同時に、イスラエルは戦争を通じて支配する地域を広げてきたため、国内にもパレスチナ人(およびアラブ系イスラエル人)を多く抱えている。

そんな状況の中で、イスラエルの課題となるのは、「ユダヤ人のための国としてのイスラエル」と、「民主主義の他民族国家であるイスラエル」の葛藤だ。イスラエルは国民の約20%はアラブ系イスラエル人だ。アラブ系イスラエル人の中にはイスラエルの社会に順応している人もいるが、多くは同じ国の中で、全く違うコミュニティに属している。例えば、ユダヤ系イスラエル人とアラブ系イスラエル人は違うコミュニティに住み、異なる学校に行き、異なる宗教施設に行く。あるアラブ系イスラエル人によると、「18歳になって他の都市に行くまで会ったことのあるユダヤ人は警官やガードマンのみで、一般的なユダヤ人と話したことはなかった」と。アラブ人との戦争の歴史もあり、軍隊はユダヤ人が大半を占め、ユダヤ系イスラエル人による治安維持を名目とした統治がされている。

この社会を二分する構造は、根深い。2-state solutionとして現在イスラエルが統治しているエリアをイスラエルとパレスチナに分断し、ユダヤ系イスラエル人はイスラエルに、アラブ系イスラエル人はパレスチナに移住する、というのが一つのアイデアではあるのだが、これも6つの論点でイスラエルとパレスチナで折り合う必要があり、合意とその実行は極めて困難だ: 1. Border、2. Soveringty、3. Security, 4. Settlements, 5. Jerusalem, 6. Refugees。トップダウンでの交渉が進まないのであれば、と草の根では、ユダヤ系とアラブ系の共同プロジェクトを行うIsraAidのようなNGOや、どちらのコミュニティからも通える教育機関が存在しているが、相互の不信感はまだまだ強く、インパクトも限られている。

二つの社会がより大きなスケールで交わるまでにはトップダウンでの政治の強いリーダーシップがあるか、もしくは草の根の活動がさらに広がっていく必要があると感じた。

二つ目は経済格差だ。特にスタートアップで盛り上がるテルアビブでは高等教育を受けた人材やスタートアップのイグジットで儲けた人が移り住む一方、住宅やレストランなどの価格が上がり続けて、それ以外の人たちが生活に困窮するようになってきている。失業率は4%程度とかなり低いのだが、働いても都市で生活できる給料が得られていない人が多いというのが、現在イスラエルが抱える大きな社会問題の一つだ。これに対して、政府は教育投資を増やしたり社会保障をより充実させることで対応しようとしているが、こちらもその分安全保障費を減額して安全を脅かして良いのかとの議論になっている。

社会問題に関してはイスラエルと日本が抱える問題の程度は異なるが、一つ目の多様性がありかつ包容力のある社会をいかに実現するかというテーマは共通している。日本も移民に関しては議論を避けているが、根本には自分たちと異なる存在を受け入れることに対する恐れがあるように思える。この恐れ、実は相手のことをただ知らないだけで、日々触れる情報の中から勝手に相手のステレオタイプを作ってしまっていることが多い。この人々の恐れというハードルを越えるためには、政治家が”inclusiveな国に私たちはなる”というビジョンを繰り返し、繰り返し語り、草の根で異なる背景の人が交流し、協働する機会を増やしていくことが必要なのではないかと思う。

最後に、僕自身についての再発見ではあるが、僕はやはり経済・社会について考えたり、議論するのが好きだ。経済・社会の問題は複雑なことが多い上、国や地方の単位となると往々にして関係者も多く物事を早く進めるのが難しい。だからこそ、何が問題で、どうすればそれを解決でき、どうやって解決策を実行するべきか、を考えることが楽しい。仕事のみならずコミュニティに対する貢献などを通じて、僕も社会をより良い方向にできるようにしていきたいと感じた。

* ここで「ユダヤ人」としたのは、イスラエルの中で約20%を占める「アラブ系」イスラエル人に徴兵義務がないためだ。イスラエルの中ではユダヤ人とアラブ人が居住場所や教育機関など明確に違うコミュニティで過ごしているが、兵役の義務という点でも区別されている。

 

HKS Israel Trek (1)

5/13-20の日程でHKS (Harvard Kennedy School)のIsrael Trekに妻と参加した。こちらは8日間の間にJerusalem、Tel Aviv、West Bank、Golan Heights、Kibbutz near the Gaza boarder、Dead Sea、Masadaとイスラエルの主要な見所をパレスチナ自治区のエリアまで含めて回るというかなり意欲的なプログラムで、密度の濃い8日間だった。Israel TrekはHBSでも行われているが、下記の2つの理由で個人的にはHKS主催のものに参加して良かったなと感じる。

■ プログラムがより教育的要素が強いものとなっている

HBS Israel Trekのプログラムと比較してみると、Jerusalem、Tel Aviv、Golan Heights、West Bankなど主要な場所に行くことは共通している。違いとしてはその密度の濃さだ。HBSのトレックは自由時間が比較的多くて観光要素が強く、夜もパーティやクラブなどイスラエルを楽しむ要素が多いのに対して、HKSのトレックは朝8:00から夜23:00近くまでほぼ毎日予定が入っており、朝・昼は歴史的な場所や政府機関への訪問、夜もディナーに元外務大臣やNGO/NPO責任者が来て食事と同時にスピーチがされるなど、ぎっしりと教育的な要素が詰まっている。各都市・訪問先を回る際にも知識豊富なガイドとイスラエル人数人が一緒に回ってくれるため、質問があればすぐに聞け、イスラエルについて学ぶにはこれ以上ないほどの環境が整えられている。

プログラムがぎっしり詰まっていて忙しいが、その分学ぶことが多かったのは確かだ。イスラエルの政治、歴史、経済を短期間で学ぶのに最適なプログラムだと思う。

■ HKSやHLSといった他のスクールの学生と仲良くなれる機会である

HBSでは2年目の選択授業でHKSやHLS (Harvard Law School)の授業をクロスレジストレーションで履修することはできるが、履修をしないと他のスクールと関わる機会は実はあまりない。それだけに、HKS主催のトレックに参加するのは、新しい友人を作る良い機会となる。

実際、HBSにいる人とHKSやHLSにいる人はバックグラウンドや関心が異なり、話していて新しい発見が多く、面白い。例えば、とあるHKSからの参加者は10数年の中東駐在経験を有する元軍人のアメリカ人男性で、卒業後にはアメリカの州議員選挙に立候補する予定であり、また、とあるHLSからの参加者は国連で長く勤めた経験を持つブラジル人女性で、卒業後にはまた国際機関で働く予定だ。彼らは政治、歴史、国際情勢に詳しく、話していても「そういう観点があるのか」と驚かされることが多い。ビジネスをしていると政治関連の視点が重要となることもあり(海外進出や規制関連など)、仕事の上でも付き合うことが将来あるかもしれない。

何よりも、人としても面白い人が多く、一緒にいて楽しい。8日間の濃密な時間を共に過ごすことで生まれる絆もあり、良い友人ができたという意味でもとても良かった。


一方、HBS主催のIsrael Trekに参加するメリットしては、①自由時間が多く、回りたい所を各自で回ることがしやすい、②HBSの他のセクションメイトと仲良くなる機会となる、③HBSの学事日程に合わせてトレックが組まれているので参加しやすい、があるだろう。

どちらを選ぶにしても、日本からではなかなか行く機会がなく、かつ個人旅行ではなかなか見えない部分が多いイスラエル。1年目はJapan Trekを運営することで得られるものが非常に多いので、個人的にはJapan Trekを運営した方が良いと思うが、1年目か2年目のJapan Trekと重ならない期間にHKS主催のIsrael Trekに参加することは非常におすすめだ。

MBA Oath

MBA Oathという宣誓式が卒業式の一日前の今日に行われ、それに参加してきた。これは医者にとってのヒポクラテスの誓いのように、マネジメントの道を進むリーダーにとっての倫理規範となることを目指して2009年に作られたもので、この理念に賛同するMBA生が自主的に参加するイベントだ。2017年のこのイベントは学生とその親族が集まり、Burden HallというHBSで最も大きな会場が半分以上は埋まった。

このイベントで幸いにもスピーカーの一人に選ばれたので、なぜ僕がこの宣誓に署名するかについて、下記のようなスピーチをしてきた。

Coming from a tiny East Asian country, called Japan, two years at HBS was full of surprises.  Who in the world have gone through 500 case discussions facilitated by world-renowned professors. Who have more than 90 friends, who share aspiration to make a difference in the world. Who have close-knitted global community to which you can reach out throughout your entire life. Most people at least in my country do not have a single one of them. This is a privilege, and with great privilege comes great responsibility. As a person who is lucky enough to receive such amazing education, make friends, and build networks, I would like to contribute to society. This is the reason why I sign the oath.

最初の”a tiny country”の出だしのところは笑いを狙っていたが、狙った通りに会場が笑ってくれて、その後がやりやすくなった。with great privilege comes great responsibilityはよく引用される表現の一文字を変えたのだが、気づいた人は気づいてくれたかなと思う。

HBSで2年間を過ごせたということは非常に幸運なことで、僕個人としては得たものを活かして社会に還元していく責任があると思う。この思いを忘れずに、社会を少しでも良い方向に導けるような活動をしたい。