アメリカ中西部(ミネソタ州ミネアポリス)の生活費の実績

アメリカの生活費は日本よりも高いと言われますが、いったいどれくらい高いのでしょうか?

一つの目安として、ミネアポリス都市部に住む二人暮らしの生活のコストが月当たりどれくらいするのかを書いてみます。

家賃・光熱費

$1,950 (2ベッドルーム, ミネソタ大学近く)

Minneapolis(ミネアポリス)はNew York、San FranciscoといったTier 1都市と比べれば家賃ははるかに安いです。

妻が大学院に通うため僕らは大学へのアクセスを重視し、仕事・勉強部屋をベッドルーム以外に持つことにして、ミネソタ大学近くのアパートメントの2ベッドルームに住みましたが、それでも月$1,810かかりました。

2人の単身者がルームシェアすると、月$900ですみます。

最も家賃が高い都市ではないボストンでは大学のアパートでルームシェアをしても月$1,300くらいはかかっていたので(ただし光熱費・ガス代・水道代は込み)、ミネアポリスは20%は安い印象です。サンフランシスコの友人は1ベッドで月$3,000を払っているということでした。

中西部など田舎の都市に住めば、Tier 1の都市(ニューヨーク、サンフランシスコ、シカゴ、ボストンなど)よりは家賃は2割以上抑えられると思います。

$1,800はかなり良い物件の方なので、ミネアポリスでしたら郊外に住めばおそらく$1,000台前半で2ベッドルームが見つかります。

光熱費は2ベッドルームでだいたい$150くらいです(インターネット、水道、ガス、電気、ゴミ)。エネチェンジの情報が正しいとすると、日本は水道代、ガス代、電気代だけで二人暮らしで月平均20,000円ということですので、光熱費はおそらく日本より安いです。

交通

ガレージ付駐車場 $150、リース$450、自動車保険$200、ガソリン $50

中西部の都市で働く場合、シカゴ以外ではほとんどのケースで車は必需品です。

ただそれを反映してか駐車場の料金もいわゆるTier 1都市よりは安いです。

僕は冬場も暖房が入っている駐車場を借りたのでミネアポリスの中では比較的高い料金($150)を支払いました。普通は$100くらいが相場ですが、ただし$100では路上駐車や屋根だけで暖房なしの場合もあり、冬に雪かきをしたり凍えるような思いをして車まで行かないといけないこともあるらしいので、個人的には$150でも必要経費かなと思います。

車は中古を購入することも考えましたが、売り買いの手間やメンテナンス費用がかかることと、1年で違う都市に移る可能性が高いため、結局1年間のリース契約にしました。

車は2015年発売のHonda Fit。購入すると$16,000+Auto Tax 6.5%で、1年後に価値が$14,000まで落ちて、売却価格が価値の70%になると仮定すると、だいたい1年間の利用価値が$7,000ほど。

なんだかんだでメンテナンスで$1,000くらいかかることもあります。だったら$450を月々支払ってしまった方が、$6,000/年、なので安い。

2年以上いる前提や売却先の目処が立っているのであれば購入が良いと思いますが、短期滞在の場合ではリースは有力な選択肢なのではないかと思います。

保険料は正直結構高いです。理由は僕がアメリカでの自動車保険をこれまで持っておらず、しかも自動車保険に入っていなかったためです、

万が一を考えて補償を厚めにしているから。アメリカの自動車保険は日本と異なり、対人無制限が一般的ではなく、普通に対人賠償$100,000からが一般的な見積もりとして出てくる。訴訟大国アメリカでこれだけの補償だと正直、保険にならないので、僕は基本契約を$500,000までの補償にして、加えて$1,000,000までの補償を行ってくれるumbrella insuranceにも加入した。American Familyで申し込んで、基本契約の方が月々$250ほどでumbrellaの方が月々$15ほど。この金額は運転免許が届くまでの国際免許で運転している今月のみの数字で、届いた後は1ヶ月あたり約$170とかなりディスカウントされた。それだけ国際免許の人は事故を起こしやすいということか。

ディスカウントされても月々の車の保険料は$150を超え、これは同じ地区に住むアメリカ人と比較するとやや高い数字(僕の住む地域の平均は$130)。これはアメリカでのヒストリーのないインターナショナル生にとってはどうしようもない話で、結局最初は高めの月々のプレミアムを支払って、信用を積み重ねて、ディスカウントをもらうしかない。クレジットヒストリーもそうだが、この国はヒストリーが仕組みの中に組み込まれているために、良いヒストリーを戦略的に蓄積させていくことが非常に大事だ。

ガソリン代は移動距離によって大きく異なるが、10マイル(約16km)離れた場所に毎日通勤して休日も同じくらい移動して、1ガロンあたり40 mile走るとすると(これはかなり燃費の悪い車や渋滞の場所を走ることが多い前提で、新しい車ならばもっと燃費が良い)、 10 × 2 × 30 ÷ 40=15 gallon。よって、1 gallonn当たり$2.5くらいなので多めに見積もってもだいたい$50だ。僕は実際に今月、先月ともにより少なかった。

健康保険

 $400

日本は国民皆保険で、労使折半の場合、基本的には年収の約5%が健康保険料として取られるかと思うが、こちらではどのプランに申し込むかによって価格が異なり、年収比例ではない。保険の仕組みは民間、政府、病院の仲介機関がそれぞれ複雑怪奇に絡み合っていてこれだけで1冊の本が書けるくらい複雑な国なので、ここでは詳しくは書かないが、僕は会社が提供するPPOという比較的自由度が高く、補償の割合も高いプランに申し込んでいて、妻は大学が提供しているプランに申し込んでいる。会社または大学が一部を支払ってくれているため、内容の割に保険料は結構抑えられている。

これが個人で同じような内容で申し込むとすると、おそらく2倍はかかるだろう。そういう点で、どこにも属していない人に厳しい社会だなと思う。

通信費

$100

Verizonで2人分の回線+月々4GBまで。Verizonは高いのだが、HBS特典で安かったのと、郊外での通信品質も一番高いという評価なので、使い続けている。Sprintに切り替えると$70でさらにデータ上限も上がるらしいのだけれど、これも価格よりも品質を取っている。

インフラ系合計

$3,300

以上をまとめると、食費や日常品購入費などの変動費を除く、削りにくいインフラ系だけで計$3,300だ。日本の物価水準からしたら高いが、こちらの物価水準(ボストン、ニューヨーク、サンフランシスコなど)からすると、特に家賃がかなり安く、友人の話を聞いていると感覚的にはおそらく20%以上安い。僕はconvenienceとrisk transferをかなり優先しているが、本当にコストにこだわれば郊外に住んだり、保険を削ったりすればあと$800くらいは減らせるだろう(ただその分、不便になったりいざという時の支払いリスクに自分と家族を晒すことになるというトレードオフがある)。ということで、日本人夫婦の二人暮らしの生活コストとしては、ミネアポリスでは食費を除いても$3,000は見ておいた方が良い気がする。一人暮らしでルームシェアをする場合は、家賃が$800くらいで済んだりと、もちろんもっと安くなる。

ミネアポリスに住む際の参考になれば!

アメリカで免許を取得する(ミネソタで3度目の正直)

広大な土地を有するアメリカでは、一部の都市部を除いては車があることが前提の生活になっており、住居の次に確保する必要があるのが車。これがまた予想以上に大変だった。僕にとってはHBSでの試験より正直大変だった気がする。

ボストンでの生活

僕の場合、日本ではずっと東京に住んでいたため車を持つ必要がなく、免許は持っているけれど完全なペーパードライバー。教習所後に運転したのも片手で数えるほどしかない、という状態でアメリカに来た。その後もボストンでは妻との二人暮らしで子供の送り迎えなども必要なく、徒歩圏内でスーパーやレストランもあり、少し離れた目的地にはUberやLyftといったライドシェアのサービスを使って行っていたため、ボストンでは車がなくとも全く困らなかった。

車社会のミネアポリス

一方、卒業後に来たミネアポリスは中西部らしい車社会。Light Railという路面電車は使い勝手が悪くはないが、なにぶん駅の近くにスーパーがあるわけではないし、そもそも勤務先付近まで駅は伸びていない。一応バスもあるが、こちらもほとんど都市部内だけの移動手段なので、車がないと僕の場合は会社にすら行けない。つまり、運転ができないと働くことすらできない。

もう車に乗るしかない、と決めて練習してから約1.5ヶ月。先日ようやく免許を取得することができた。筆記試験は覚えれば良いだけなので一発ですんなりと合格。続く実技試験場(Eaganというミネアポリスの南の場所)へは以後2-3週間おきに計3回も行くことになった

免許試験場1回目

1回目は路上試験前の準備段階で”Defroster”の場所を知らなかったことで試験を受けさせてもらえなかった。ミネソタではDefrosterが重要なのでこれは致命的。残念ながら再度予約することに。

路上試験1回目

試験官は優しそうな女性。最初のうちは順調で、縦列駐車と90度パーキングはこなすも、次右折、次左折、と次々に言われて、それをこなしているうちに、日本で学んだことの癖か、右折時に大回りして反対車線に入ってしまう。これで一発アウト。アメリカの実技試験ではCritical Errorといういわゆるレッドカードがあり、反対車線に入ってしまうのはこのエラーに当たる。確かに実際の道路でやったら危ないから納得なのだが、一発アウトというのは結構シビア。次の試験の予約は2週間後以降しかできないため、2週間後の試験を予約。

路上試験2回目

教官は若くて割としっかりとした男性。今回は練習してきたためいけるだろうと思って気合を入れるが、緊張していたためか90度パーキングでポールに後ろを当ててしまう。これもCritical Errorでレッドカード。それ以外にも一方通行の道路に入る際に入るレーンを間違えたのでレッドカード2枚目。これはさすがに落ち込んだ。次の試験の予約は2週間後と言われたが、夏は予約が取りにくく、次の予約の最短は8週間後の9月だと言われ、かなり焦る。すでに試験を受けてから1ヶ月が経過してしまっていたため、次が8週間後の試験だと問題になる。

なぜかというと、ミネソタは法律上、ミネソタに着いてから60日以内に運転免許を取らないと運転ができなくなるからだ。つまり通常は1年間有効なはずの国際免許証がこの州では60日間までで、それを過ぎると国際免許証で運転していても無免許運転状態になってしまう。僕の場合、1ヶ月+8週間、だと60日間を超えるので、車に乗れなくなってしまう。乗るというリスクを取ることも考えたが、労働ビザで来ていて無免許運転で捕まって強制送還はシャレにならない。

何とか他の場所で受けられないか、どうしたら良いのだ、と粘ってみると、「毎日朝8時に新しいスポットが空くかもしれないからここに電話しろ」と言われ、窓口ではにべもない対応。これがアメリカの悪名高きDMVか、と感じながら、翌日以降朝に電話をかける日々が始まる。まるでコンサートのチケットを取るようだったが、幸いにも翌々日には2.5週間後の予約を取ることができた。

予約が取れた喜びもつかの間、ミネソタ州は4回試験に落ちると6時間の教習所研修を受けてからでないと再試験が受けられず、とても面倒なことになる。そのため、次の試験は何としてでも負けられない戦いとなった。

個人インストラクターを雇う

もうこれは誰かに頼るしかない、と個人インストラクターのPaulを雇って4時間トレーニングした。トレーニングの内容自体も良かったものの、それ以上に良かったのはPaulが試験で何が問われるか、何が見られているか、を教えてくれた点。何も書いていない道路は「両側2車線ずつの4車線だと思って走れ」、とか「信号のない交差点でもスピードを落として首を思いっきり右左に回して確認していることを見せろ」とか正直、誰かに聞かないとどうにもならない暗黙の前提があったため、これは必要だったと思う。

そして3回目の試験に

路上試験3回目の試験官はラテン系の若い男性。始まる前に今日は良い日になると良いね、と言ってくれたりとかなり感じの良い人。試験内容自体は前2回とほぼ変わらず、さすがにこちらも慣れているのでほぼパーフェクト。試験は10分ほどで終了し、合格、と言われた。今回も落ちて無免許状態になりたくないというプレッシャーが強かったため、相当しんどい2週間だったが、無事に合格することができた。練習中は夢にまで縦列駐車をしている自分の姿を見た。TOEFLと同様にもう2度と受けたくない試験だ。

日本からアメリカに来るペーパードライバーの方へのアドバイス

日本からアメリカに来るペーパードライバーの方へのアドバイス。

  1. インストラクターを雇おう。地域にもよるかと思うが、6時間$300くらいで個人レッスンを受けられるはず。実技試験は知らないと一発で引っかかる点があるため、実技で失敗して学ぶ時間を考えると、インストラクターに教えてもらってから受けた方が良い。
  2. 早朝または夜の駐車場などでコーンを立てて、縦列駐車と90度パーキングの練習をしよう。アメリカの車は日本の中型車と比べても大きい。ここまで行けるという車体感覚が結構違うと思うので、甘く見ずに練習した方が良い。
  3. DefrosterやLightを確認しよう。レンタカーの場合、どこにあるか分からないことがある。僕はこれで1回分無駄にしてしまったので(まさかdefrosterの場所が分からないだけで路上試験を受けられないなんてことがあるとは思ってもみなかった・・・)、気をつけよう。
  4. DMVは夏、月末は混むのでタイミングを気をつけよう。並ぶだけで結構時間がかかるし、次の予約は8週間後以降です、などと平気で言われるので。。。

実技試験は簡単という人もいるが、一発アウトの落とし穴は結構ハマりやすく、非アメリカ人の僕の友人にも試験に複数回落ちている人が何人かいるので、運転経験が少ない人は甘く見ずに対策した方が良いと思う。良いアメリカ生活を!

ハーバードビジネススクールMBAの価値

MBA受験-ビジネススクールで得られるもの」、でMBAの価値として「A Good Business Foundation」、「Networking」、「Career Change Opportunity」の3つが主要な価値で、「Quality Time」、「Brand」の2つを加えた計5つが価値と述べた。

それらが得られたというのはそうなのだが、最初の3つについては得られたものについてより具体的に表現できるようになったことと、少し感じ方が変わってきたので、今回続編を書いてみようと思う。

内容はMBA一般というよりも、僕がHBSで得られたものについて、だ。

Personal Development

最も大きな成果は人としての成長だと思う。HBSでは1年目、2年目ともに人生の価値観について考えさせられる機会があり、その機会を経て、人生についての理解が深まった。

BSSE (Building Successful and Sustainable Enterprise)でClayton Christensenが行う最後の講義の”How will you measure your life?”もその一つだ。彼は実務家としても、教授としても成功した教授だが、彼が最も大事にしているのは妻と5人の子供を育てることだと言う。そのためにも、彼は土曜日と日曜日は家族のためにあてる時間としてコミットして、BCGで働いていた時から土日は働いていなかった。何を人生において成し遂げたいか、そのためにどのように自分の時間という資源を配分しているか、それをどうやって実現するか、という彼の講義は非常に示唆に富んでおり、彼の講義を受けることができたのは幸運だったと思う。

同じテーマでFounders’ DilemmaのShikhar Ghoshも「幸せに最も影響を与えるのはどのような質のRelationshipsを築けているか」であり、”Relationships trump everything”ということを教えてくれた。人生における自分なりの成功の定義は何か、それを実現するために日々どう行動するべきか、について、HBSは自分なりの答えを見つけるための機会をくれた。

人との関わりを通じて、リスクについての考え方も変わった。HBSには本当に多くのゲストが来る。起業家もいるし、大企業の役員もいるし、政治家もいるし、訪れるゲストの幅が広い。彼らの生き方を聞き、彼らと話していて気づくのは、別に彼らが僕らと別次元に住んでいる人ではないということだ。

いわゆる自分の人生を生きている人とそれ以外の人の違いは、リスクを取っているかどうか。彼らが口々に言うのは、「リスクを取らないことがリスクだ」、と。多くの教授もその見方を後押しする。一度や二度ではなく、2年間毎日のようにそういった話を聞いていると、自分もやれるという自信が生まれてくる。挑戦をしての失敗は僕を強くしてくれる。

HBSは僕に「やればできないことはない」という自信をくれた。

HBSはBusinessについて学ぶ場かと思っていたが、実は人生について学ぶ場だった。

自分の本当にやりたいことは何なのだろうか。何を自分の人生において大切にするべきであろうか。21ヶ月という比較的長い時間があったため、そういった質問を自分に問いかけ、考え、妻や友人や教授と議論する時間が持てた。これにより、自分がこの先の人生を生きる上での土台を作ることができたように思える。

僕自身は、実はHBSに来る前にはもう自分の価値観はある程度固まっていてそこまで変化はないかと思っていたのだが、振り返ってみるとかなりの変化があったように思える。これは予想していなかったが、得られたものの中で最も大きかったものの一つだ。

A Good Business Foundation

ビジネスについては、幅広い視点を身に付けることができたと思う。特にLEAD (Leadership)の授業が素晴らしく、リーダーシップについては一生使えるような考え方を学べた。

HBSの1年目の必修科目はよく練られており、ケースメソッドでビジネスを包括的に学べるようになっていた。大きく分けると、マクロ経済・グローバライゼーション(BGIE、FIELD 2)、リーダーシップ(LEAD, LCA, FIELD 1)、ファンクション(STRAT, MKT, FIN1/2, FRC, TOM)、アントレプレナーシップ(TEM, FIELD 3)の計4つ。

ケースメソッドでは様々な経営の場面において、①何が起きているのかを分析し、②何をするべきかを立案し、③どう実行すれば良いのかのアクションプランを立て、④実行の際の障害やリスクとそれらを解決または減らす方法も立案する、ということをひたすら行うため、「どういう場面で、何を、どのように考えれば良いのか」、が思考のプロセスとして築かれる。この思考のプロセスが、より成功確率が高い意思決定をするために役立つと感じる。

一方、2年目は全て選択科目で、自分の伸ばしたい分野について学ぶことができた。僕の場合、戦略(Strategy and Technology、Strategic IQ)、組織(General Management Process and Actions、Designing Competitive Organizations)、ヘルスケア(U.S. Healthcare Strategy、Innovating in Healthcare)、アントレプレナーシップ(Founders’ Dilemma, Launching/Scaling Tech Ventures)、ネゴシエーション (Negotiation)、ファイナンス(Entrepreneurial Finance)、マクロ系(Globalization and Emerging Markets)と幅広く履修した。

得られたものの一例は、戦略的な思考がある。こちらに来て学び始めて、僕の場合、プロダクトマネジャーとしてプロダクトレベルの「戦術」や「アイデア」は考えていたが、事業レベルの「戦略」についてきちんと考えることができていなかったことに気づいた。

僕は新しい機能やデザインでの商品の差別化など、プロダクトマネジャーとして単年度で結果を出すような施策は考えて実行してきたが、中長期でどのように持続可能性のある競争優位性を築いていくか、そのためには組織に対して影響をどのように与えていくべきか、という観点が抜けてた。あの時の僕が今と同じように考えられたら、より戦略的な提言と実行ができたと感じる。

もう一つの例は、リーダーシップだ。僕は前職での経験を通じて、人に動いてもらうためには「情熱、論理、思いやり」が必要であり、そのためには自分が最もお客さんや商品、技術を理解して、チームを動かしていく必要がある、と考えてた。

今でもその考え方は残っているが、今ではチームをどうやってデザインし、立ち上げ、マネージするかについて、より多くの要素があることを知っている。前職で初めて人のマネジメントを経験した時にはマネジメントについて「何を、どう考えれば良いのか」、が全て手探りで一つずつ自分の使える道具を探していく感じだったが、今では以前は知らなかった道具があることを知っているので、その道具を使って、より良いリーダーシップがとれる気がしている。

MBAに来るまでは、学習から「知識」がつくのかと思っていたが、実際には様々な状況における「思考方法」や「視点」を学んだという方が近い。

この学びがどの程度役に立つのかは卒業後試してみないと分からないが、少なくとも僕は自分の思考の広さと深さが広がったことには十分の価値があったと思う。思考の広さと深さは一生磨き続けていくべきもので、MBAはそのベースを作ることを助けてくれた。

Networking/Friendship

HBSは仕組みに優れた大学であり、その最たるものが「セクション」という仕組みだ。HBSの場合、セクションと呼ばれる93-94人のクラスで1年目を過ごし、同じ教室で、授業を一緒に受ける。授業の大半がケースディスカッションのため、だんだんとその人の価値観や人となりも分かってきて、不思議な親近感を抱くようになる。

1年目は何をするにもセクションが主な単位となるので、自然と独自のカルチャーができてくる。セクションごとに卒業後も5年ごとに集まるReunionという機会が用意されているため、この友人関係は(HBSと関わり続ける限り)一生続くものとなる。卒業した時点で誰もが93-94人の一定以上の深さを有する友人を持て、かつ5年後も彼らと会うために戻って来ようと思わせるような帰属感を持たせるこのセクションという仕組みは、とてもよくできている。

加えて、セクションが全てではなく、1年目はディスカッショングループやFIELD 2という新興国のコンサルティング・プロジェクトでセクションを跨いだ人間関係が築け、2年目の授業でさらに人間関係が広がる。Trekの運営や参加、カンファレンス運営、その他クラブ活動等々で、何だかんだでHBSだけで2年間で300人は友人・知り合いと呼べる人はできると思う。ボストン自体も他の大学の学生や研究者の人たちとの出会いの機会が豊富で、出会える人の幅も広い。僕の場合、この2年間でFacebookで新たに繋がった人の数は400人だった。

また、HBSはAlumniとの結びつきも強く、驚くぐらい卒業生が後輩をサポートしてくれる。こちらも卒業後に出会うことができる人の幅を大きく広げてくれる。

世界中に、助け・助けられ、共に刺激し合える友人がいるというのはとても幸せなことだ。この幅広さと深さの人間関係は、僕の一生の財産になるだろうし、全員とは難しくとも、特に仲の良い友人とは今後も定期的に連絡を取り合うことで、より関係を深められるようにしたいと思う。

Career Change Opportunity

HBSを出たことによって、就労の機会が大きく広がった、というのは実感としてある。僕自身、地域と業界を変えて米国で就職することにしたが、これはMBAを経なければほぼ無理であっただろう。

一方で、友人と話していて、見えていなかった現実もあるなと感じた。一つには、インターナショナル生にとってのMBA後の米国就労の厳しさ。米国で就労するためには、企業にH1-Bビザという抽選で取得するビザの申請をしてもらわなければならず、このビザサポートをしている企業が本当に少ない。いわゆるスタートアップ系企業はほぼビザサポートをしないと思っていた方が良い。中規模くらいの会社でも就労のための門がそもそも空いておらず、文字通り門前払いだし、大企業でも人気のあるところは競争が厳しい。

ネットワーキングで門をこじ開ける方法もあるが、狭い道だ。科学技術の学位取得者に関しては(特にコンピューターサイエンス)より門が開いているので、単に米国での就労が目的なのであれば、エンジニアリングの専門で大学院に行った方がずっと良いと思う。

二つ目は、年齢が上がってから来ると、納得いくポジションが見つかるとは限らないことだ。米国MBAの平均入学年齢は約28歳で、卒業が30歳前後となる。いわゆるMBA採用をしている企業では、入社時点が実務経験3年+MBA2年の28歳と、実務経験7年+MBA2年の32歳を同じMBA卒として同じポジションで採用することが多いため、実務経験が長い人ほどキャリアアップというよりも、キャリアの横滑りの可能性が高くなる(前者がスタッフ→MBA→マネジャーなのに対して後者はマネジャー→MBA→マネジャー、など)。

特に欧州から来る学生はやや年齢が上のことが多いので、この点でオファーを受けるべきかどうかで悩む学生が多いようだ。

* * * * *

全てをひっくるめて、僕がHBSに来て良かったかと聞かれれば、間違いなく良かったと思う。21ヶ月の機会費用や計24万ドル以上のコストは非常に高いが(奨学金がなければ本当に苦しかった。。。)、生き方、友人、仕事の土台を築けたし、今後の人生をサポートしてくれるようなネットワークへのアクセスや「HBS卒」という一定の信頼を得ることもできた。

MBAを考える人は、検討しているプログラムの学業の内容だけでなく、卒業生が何を得ているかを上記のような観点で検討してみると良いのではないかと思う。

この記事を読んだ方で、MBAに興味を持たれた方は、「MBA受験から卒業までの流れ (準備から卒業まで)」をご参考に。

HBSを卒業しました

HBSを5月25日に卒業しました。当日はあいにくの雨で、午前中のHarvard YardでのHarvard全体の卒業式、および午後のHBSでの卒業証書授与式は濡れながらの参加となりました。天候も含め、思い出に残る卒業式になりました。

午後のHarvard YardでのスピーチはMark Zuckerbergが行いました。Campaign Speechかと感じさせるような要素もありましたが、①”Purpose”を持つこと、②まずやってみること、③コミュニティへの貢献、の大切さに僕は共感しました。”There is always someone who wants to slow you down”のラインには特にそうだよな、と。

卒業式は終わりであり、始まりでもあります。これから世の中に対してどのように影響を与えていくか、が勝負。卒業生として恥じない活動をすることで、HBSにも貢献していきたいと思います。


僕は卒業後はミネソタ州のMinneapolisに移り、新しい挑戦をすることになります。それに伴って、ブログのタイトルも変えようと思います。守秘義務があり職務関連の内容は書けず、ブログの更新頻度も落ちる可能性が高いですが、MBA後に海外で就職して働くという選択肢をとるとどのような生活になるのか、をメインで伝えられたらと思います。

2年生春学期の振り返り

2年生の春学期が終わった。これまでの1年生2年生の秋学期と続いてきて、これがHBSでの最後の学期となる。振り返ってみたい。

学業

春学期は最後の学期ということもあり、先学期より2科目を増やし、”Launching Tech Ventures”、”Scaling Tech Ventures”、”Strategic IQ”、”Designing Competitive Organization”、”General Management Processes and Action”、”U.S. Healthcare Strategy”、”Innovating in Healthcare”の7科目を履修した。また、学期最後の3日間は”Bridges”という卒業後のキャリアや生き方を考えるセッションを履修した。

“Launching Tech Ventures”からはProduct Market Fit(製品がお客さんのニーズに合っており、かつビジネスとして成り立つことが確認できること)を実現するために製品・サービス、成長戦略、営業・マーケティングについて考慮すべき点やCustomer Life Time Value(顧客生涯価値)、Customer Acquisition Cost(顧客獲得コスト)をいかに測定し、改善していくかについて学んだ。”Scaling Tech Ventures”では6S (Staff, Shared Value, System/Structure, Series, Scope, Speed)のフレームワークに基づいて、Product Market Fitを実現したスタートアップをいかに急成長させていくべきかについて学んだ。”Strategic IQ”からは競争力を持続するために、環境に合わせて変化し、実験から学び続ける企業をいかに実現させるかについて学んだ。”Designing Competitive Organization”からは戦略を実行する組織に必要な7つの要素を学んだ。”General Management Processes and Action”からは、いかに経営者として意思決定、組織学習 、変化のプロセスを設計し、実行していくかを学んだ。”U.S. Healthcare Strategy”と”Innovating in Healthcare”からは米国ヘルスケア業界の知識とその中で成功するための条件を学んだ。成績は全て「2」以上でStrategic IQとDesigning Competitive Organizationは「1」だったので、目標達成だ。

授業からも学びが多かったが、最も印象深かったのはBridgesの最終日に聞いた、Clayton Christensen教授のHow will you measure your life?”の講義だった。この講義の中で、教授は企業の戦略・組織の理論を人生にあてはめて、「いかに人生を自分の生きたいように生きるか」、ということを語った。

Clayton Christensenは実務家としても教授としても成功した人だが、彼は自分が最も大切にしてきたのは家族と5人の子供を育てることだと言う。彼は土曜日と日曜日は家族のための時間にすると決め、自分の決意を同僚や上司にも話して土日に仕事が入らないような環境を作り出し、それを実行してきた。彼は、「何を人生において成し遂げたいか、どうやってそれを実現するか、そのために自分の時間という資源をどのように配分するかを考えないと、年収や地位など目に見えやすい成果を追い求めて仕事のみに時間を割いてしまい、結果として本当に得たいものを得られなくなってしまう」と語った。彼の講義は示唆に富み、どのように生きるべきかについて考える良い機会となった。また、脳梗塞など大病を患いながらもリハビリを繰り返して教壇に復帰し、学生に教えることを止めず、教壇に立ち続けるその姿は人知を超えた神々しさすら感じさせ、彼の一言一言が胸に刺さった。 体調悪化のために来年からは講義をさらに縮小するということで、彼の講義を受けることができるうちにHBSに在籍できたことは幸運だったと思う。

友人、課外活動 

春学期は秋学期に引き続き、週に1-2回友人を招いてホームディナーを行った。春学期中はアメリカのトランプ政権の100日間、イギリスのBrexit交渉の進展、フランスではルペンの台頭、と特に西側諸国の政治で大きな変化があったので、それらを話しながらのディナーは楽しいと同時に、そういう見方もあるのか、と視点を広げるきっかけにもなった。また、妻が作る肉じゃがや手巻き寿司は友人たちに好評で、友人たちと仲を深める良い機会となった。

また、Bridgesの期間中は約1年ぶりにセクション(クラス)で集まり、ケースディスカッションを行なったが、まるで地元に帰ったような懐かしさを感じ、HBSはやはりこのセクションの体験がユニークだと感じた。1年間を共に過ごした93人の仲間とは卒業後も大学主導の5年に一度の同窓会でボストンで集まることになる。93人の仲間の進路はまさしく国も業界も様々で、彼らと今後の人生を共に歩んで、時々にお互いの近況報告をし合えると思うとワクワクする。65周年まで同窓会が開かれるということなのでいつまで参加できるかは分からないが、体がついていく限り、できるだけ長く参加したいと思う。

課外活動としては、文科省のスーパーグローバル・ハイスクールに採択されている長野県上田高等学校の生徒17人が高校のプログラムでボストンに来た際に、スタートアップに関する講義をHBSで行った。彼ら・彼女らは非常に熱心に講義を聴いてくれ、質問も活発に出て盛り上がった。僕としても何かを教えることは楽しく、卒業後もこの2年間で学んだものを継続的に社会に還元していきたいと思う。

加えて、今学期もHarvard Business Schoolの公式ブログの管理とこの個人ブログも書き続けて、こちらで学んだことを発信し続けた。2年間続けた個人ブログは今年のHBSの合格者の中でも読んでいた人が多く、HBSやMBAの実情を伝えることに少しでも貢献ができたのではないかと思う。 

また、最終授業から卒業式の間の5月中旬にHKS (Harvard Kennedy School)主催のIsrael Trekに妻と参加し、こちらも多くの学びと新しい繋がりを与えてくれた。旅行でもアイスランドとベリーズへ行ったりと、今学期はかなり見聞を広めることができたと思う。

キャリア

今学期は”Innovating in Healthcare”という授業の一環でBoston Children’s HospitalのBioinformaticsチームの依頼を受け、同級生2人とともにSMARTというIT Platformのビジネスプランを策定した。SMARTは互換性が低い米国の病院・クリニック向けのEMR (Electronic Medical Records)向けに互換性のあるソフトウェアを提供するためのプラットフォームという位置付けで、米国保健局(National Institutes of Health)からも支援を受けているNPOが運営している。

SMART: https://smarthealthit.org/

このプロジェクトを選んだ理由は、「病院・クリニック間の情報共有を促進させることで、効果的かつ効率的に患者さんに適した治療法を見つけやすくする」という点で、僕の将来のテーマに繋がると考えたからだ。

このプロジェクトを通じ、米国のITシステム業界がどのようになっているのかについてや、病院・クリニックの購買の意思決定者や意思決定プロセスについての理解が深まった。米国のITシステム業界は広く、統一された規格がないため、各企業が独立した規格を用いてソフトウェアのベンダーを抱え込んでいるため、結果として病院間で用いているソフトの互換性がなく、ヘルスケアのシステムとして非効率な状態となっている上、新たに参入する企業にとっても各ベンダーに合わせた仕様を作らなければならず、コスト高に繋がっている。また、病院・クリニックの購買はIT担当だけでなく、実際に診療を行う診療部門やグループ病院との調整が必要で、提案から成約までの期間が1年から2年と長く、この意思決定の長さがスタートアップがヘルスケア業界に入る際の障壁となっている。このプロジェクトを通じて、ヘルスケアで新しいビジネスを起こす際にどのような壁を乗り越えるべきかを認識できた。

同級生の2人が特に優秀だったこともあり、プロジェクトの成果はクライアント、教授ともに高い評価をいただけた。今回のアウトプットはSMARTを運営するNPOが5月末に申請する補助金の土台となる予定だ。


全体を通じて、今学期は忙しい学期だった。通常5科目選択のところを、最後だから学べるだけ学ぼうと7科目選択したのだが、やはり結構多かった。加えてヘルスケア系の授業は新鮮で学ぶことが多い一方、僕は前提知識がないためにかなりそこに時間を使った。その分学ぶことが多かった上、ヘルスケア系のクラスメイトともより多くの繋がりを築けたという点で非常に実りが多かった。

HBSの学生とも定期的にホームディナーを行って仲を深められたと同時に、HKSのIsrael Trekに参加してHKSやHLSとの繋がりも夫婦で広げることができたのは非常に良かった。

もう少しできたか、と問われれば、できたこともあるのかもしれないが、得られたものには満足をしている。7月からは久方ぶりの仕事をする生活だ。新しい挑戦に、ワクワクしている。

HKS Israel Trek (2)

8日間のIsrael Trekでは学ぶことが非常に多かった。同時に、経済、社会についてや、日本についても考えさせられた。

経済

イスラエルはStart-up Nationと呼ばれるくらいスタートアップが盛んな国で、実際に人口あたりのスタートアップの数は世界一で、人口は約800万人と日本の1/15程度に関わらず、スタートアップの数は日本を上回っている。スタートアップの分野はハイテク関連が多く、例えばGoogleに買収されたナビゲーションのWAZEや自動運転のコア技術の一つでありIntelに買収されたMobileyeなどがイスラエルを代表する企業だ。

なぜスタートアップが多いのかについては、移民、徴兵制、文化の3つの理由が挙げられる。

一つ目は移民だ。イスラエルはユダヤ系の移民を積極的に受け入れており(一方、ユダヤ人以外が移民するのは非常に難しい)、アメリカ大陸、ヨーロッパ大陸からユダヤ人が移住してきている。後述するようにユダヤ系は教育に非常に力をいれる文化があり高等教育を受けた人の割合が高かったことに加え、若い層が多く、経済に貢献するだけでなく社会保障費も安いという理想的な移民だった。彼ら・彼女らがイスラエルに多様性のみならず経済的な恩恵ももたらした。

二つ目は徴兵制だ。イスラエルでは「ユダヤ人」は男女問わず兵役の義務があり*、男性は3年、女性は通常は男性よりもやや短い期間、軍に従事する。軍での経験は国民にとって、ただ単なる就業経験ではなく、教育・就業経験・ネットワーキングの場となっている。有名なのはスタートアップ創業者を多く輩出している8200部隊だが、それ以外にもMedic(救護兵)として教育を受けて実務経験を積んだ後に医者になる人や、軍のレポーターを経験した後にテレビ局で勤めたりジャーナリストになる人もいる。加えて、軍の縦・横の繋がりは強く且つフラットで、兵役を終えた後にもその分野におけるネットワークを持つことになる。特にイスラエルではテルアビブにハイテク企業が集中しているため、ネットワークの密度が濃くなり、さらに効果的だ。

三つ目は文化だ。ユダヤ人は約2,000年の間、ヨーロッパや中東で迫害されてきた歴史を経験しており、土地や金融資産などの資産は政権次第で奪われるという感覚を共有している。その歴史から生まれた教訓として「実物・金融資産は奪われても頭の中までは奪われない」ということを知っており、それが教育に対する熱意に繋がっている。事実、イスラエルの大学進学率は日本を上回っている。

また、「権威に対する尊重がない文化」というのも現地で良く聞いた。日本やアメリカを始めとした多くの国では、上司に対して意見をする際に多少の遠慮があるのは通常かと思うが、イスラエルでは意見は意見として人と切り離し、はたから見るとちょっと言い過ぎなのではないかというラインまで意見をぶつけ合うとのこと。実際にKnesset (イスラエルにおける国会)を見学した時にも、与党の一人が教育の予算に関するスピーチをしている際にも関わらず、野党が「それは違う、兵器への予算を減らして教育により予算を振り分けるべきだ」とスピーチ中に割り込み、大声でスピーチの最中にディベートをやっていた。日米ではスピーチ中に割り込んで意見をするというのはかなり失礼なことで、この議論に対するハードルの低さがイノベーションに繋がっているのか、と感じた。

さらにユダヤ教を信仰するユダヤ人としての一体感もネットワークの形成に役立っている。ユダヤ人にとっての教会であるSynagogue(集まりそのもの、または集まる場所、という意味)では世代の異なる人が集まり、そこでの繋がりがビジネスに繋がることもある。また、イスラム教徒が圧倒的に多い中東の中ではユダヤ人は少数派であり、少数派の中で価値観を共有しているということで、より結びつきが強いように感じられた。

教育への熱意が高く、高等教育進学率が高い上に、軍隊の中での職業経験・ネットワーク形成が重なり、良質な人材が育成される。また、外部からは移民という形で異なった考え方をもつ人材が定期的に入ってくる。加えて前提を疑い徹底的に議論をするという文化があり、議論を通して新しいアイデアが生まれていく。こういった仕組みは今の日本に欠けているもので、スタートアップを生み出す環境づくりという点でシステムとして学べることが多いと感じた。

社会

イスラエルは上記で述べたようにイノベーションに対する受容度はとても高い国だが、安全に関わるような社会問題・安全保障に関することになると驚くほど保守的だ。これは日本からでは見えにくいことだったが、彼らの文脈を考えると多少なりとも理解できる。

一つ目は、国内のユダヤ系とアラブ系のイスラエル人の対立だ。この対立の背景には、イスラエルという国自体の成り立ちがアラブ人との戦争の歴史だということがある。1947年の国連決議を受けて1948年に独立宣言をして、そこからエジプト、シリア、イラク、レバノン、ヨルダン相手に生存権をかけた第一次中東戦争を戦った。1967年のSix-Day Warではこちらから戦争を仕掛けて、エジプトからシナイ半島、シリアからはゴラン高原、ヨルダンからは東エルサレムとヨルダン川西岸を奪った。(平和条約締結と同時にシナイ半島はエジプトへ返却した。それ以外は今に到るまで国際法上の違法占拠の状態が続いている。)1973年のYom Kippur Warでもエジプト、シリアとの戦争を行い、国土を防衛した。その後、エジプトとヨルダンとは平和条約を結んだが、シリアとは2017年現在も平和条約が結ばれておらず、ガザ地区を実効支配するハマス、レバノンを実効支配するヒズボラ、中東地域でシーア派の覇権を広げようとしているイランからも安全保障を脅かされており、平時とは言えない状況にある。同時に、イスラエルは戦争を通じて支配する地域を広げてきたため、国内にもパレスチナ人(およびアラブ系イスラエル人)を多く抱えている。

そんな状況の中で、イスラエルの課題となるのは、「ユダヤ人のための国としてのイスラエル」と、「民主主義の他民族国家であるイスラエル」の葛藤だ。イスラエルは国民の約20%はアラブ系イスラエル人だ。アラブ系イスラエル人の中にはイスラエルの社会に順応している人もいるが、多くは同じ国の中で、全く違うコミュニティに属している。例えば、ユダヤ系イスラエル人とアラブ系イスラエル人は違うコミュニティに住み、異なる学校に行き、異なる宗教施設に行く。あるアラブ系イスラエル人によると、「18歳になって他の都市に行くまで会ったことのあるユダヤ人は警官やガードマンのみで、一般的なユダヤ人と話したことはなかった」と。アラブ人との戦争の歴史もあり、軍隊はユダヤ人が大半を占め、ユダヤ系イスラエル人による治安維持を名目とした統治がされている。

この社会を二分する構造は、根深い。2-state solutionとして現在イスラエルが統治しているエリアをイスラエルとパレスチナに分断し、ユダヤ系イスラエル人はイスラエルに、アラブ系イスラエル人はパレスチナに移住する、というのが一つのアイデアではあるのだが、これも6つの論点でイスラエルとパレスチナで折り合う必要があり、合意とその実行は極めて困難だ: 1. Border、2. Sovereignty、3. Security、4. Settlements、5. Jerusalem、6. Refugees。トップダウンでの交渉が進まないのであれば、と草の根では、ユダヤ系とアラブ系の共同プロジェクトを行うIsraAidのようなNGOや、どちらのコミュニティからも通える教育機関が存在しているが、相互の不信感はまだまだ根強く、インパクトも限られている。

二つの社会がより大きなスケールで交わるまでにはトップダウンでの政治の強いリーダーシップがあるか、もしくは草の根の活動がさらに広がっていく必要があると感じた。

二つ目は経済格差だ。特にスタートアップで盛り上がるテルアビブでは高等教育を受けた人材やスタートアップのイグジットで儲けた人が移り住む一方、住宅やレストランなどの価格が上がり続けて、それ以外の人たちが生活に困窮するようになってきている。失業率は4%程度とかなり低いのだが、働いても都市で生活できる給料が得られていない人が多いというのが、現在イスラエルが抱える大きな社会問題の一つだ。これに対して、政府は教育投資を増やしたり社会保障をより充実させることで対応しようとしているが、こちらもその分安全保障費を減額して安全を脅かして良いのかとの議論になっている。

社会問題に関してはイスラエルと日本が抱える問題の程度は異なるが、一つ目の多様性がありかつ包容力のある社会をいかに実現するかというテーマは共通している。日本も移民に関しては議論を避けているが、根本には自分たちと異なる存在を受け入れることに対する恐れがあるように思える。この恐れ、実は相手のことをただ知らないだけで、日々触れる情報の中から勝手に相手のステレオタイプを作ってしまっていることが多い。この人々の恐れというハードルを越えるためには、政治家が”inclusiveな国に私たちはなる”というビジョンを繰り返し、繰り返し語り、草の根で異なる背景の人が交流し、協働する機会を増やしていくことが必要なのではないかと思う。

最後に、僕自身についての再発見ではあるが、僕はやはり経済・社会について考えたり、議論するのが好きだ。経済・社会の問題は複雑なことが多い上、国や地方の単位となると往々にして関係者も多く物事を早く進めるのが難しい。だからこそ、何が問題で、どうすればそれを解決でき、どうやって解決策を実行するべきか、を考えることが楽しい。仕事のみならずコミュニティに対する貢献などを通じて、僕も社会をより良い方向にできるようにしていきたいと感じた。

* ここで「ユダヤ人」としたのは、イスラエルの中で約20%を占める「アラブ系」イスラエル人に徴兵義務がないためだ。イスラエルの中ではユダヤ人とアラブ人が居住場所や教育機関など明確に違うコミュニティで過ごしているが、兵役の義務という点でも区別されている。

HKS Israel Trek (1)

5/13-20の日程でHKS (Harvard Kennedy School)のIsrael Trekに妻と参加した。こちらは8日間の間にJerusalem、Tel Aviv、West Bank、Golan Heights、Kibbutz near the Gaza boarder、Dead Sea、Masadaとイスラエルの主要な見所をパレスチナ自治区のエリアまで含めて回るというかなり意欲的なプログラムで、密度の濃い8日間だった。Israel TrekはHBSでも行われているが、下記の2つの理由で個人的にはHKS主催のものに参加して良かったなと感じる。

■ プログラムがより教育的要素が強いものとなっている

HBS Israel Trekのプログラムと比較してみると、Jerusalem、Tel Aviv、Golan Heights、West Bankなど主要な場所に行くことは共通している。違いとしてはその密度の濃さだ。HBSのトレックは自由時間が比較的多くて観光要素が強く、夜もパーティやクラブなどイスラエルを楽しむ要素が多いのに対して、HKSのトレックは朝8:00から夜23:00近くまでほぼ毎日予定が入っており、朝・昼は歴史的な場所や政府機関への訪問、夜もディナーに元外務大臣やNGO/NPO責任者が来て食事と同時にスピーチがされるなど、ぎっしりと教育的な要素が詰まっている。各都市・訪問先を回る際にも知識豊富なガイドとイスラエル人数人が一緒に回ってくれるため、質問があればすぐに聞け、イスラエルについて学ぶにはこれ以上ないほどの環境が整えられている。

プログラムがぎっしり詰まっていて忙しいが、その分学ぶことが多かったのは確かだ。イスラエルの政治、歴史、経済を短期間で学ぶのに最適なプログラムだと思う。

■ HKSやHLSといった他のスクールの学生と仲良くなれる機会である

HBSでは2年目の選択授業でHKSやHLS (Harvard Law School)の授業をクロスレジストレーションで履修することはできるが、履修をしないと他のスクールと関わる機会は実はあまりない。それだけに、HKS主催のトレックに参加するのは、新しい友人を作る良い機会となる。

実際、HBSにいる人とHKSやHLSにいる人はバックグラウンドや関心が異なり、話していて新しい発見が多く、面白い。例えば、とあるHKSからの参加者は10数年の中東駐在経験を有する元軍人のアメリカ人男性で、卒業後にはアメリカの州議員選挙に立候補する予定であり、また、とあるHLSからの参加者は国連で長く勤めた経験を持つブラジル人女性で、卒業後にはまた国際機関で働く予定だ。彼らは政治、歴史、国際情勢に詳しく、話していても「そういう観点があるのか」と驚かされることが多い。ビジネスをしていると政治関連の視点が重要となることもあり(海外進出や規制関連など)、仕事の上でも付き合うことが将来あるかもしれない。

何よりも、人としても面白い人が多く、一緒にいて楽しい。8日間の濃密な時間を共に過ごすことで生まれる絆もあり、良い友人ができたという意味でもとても良かった。


一方、HBS主催のIsrael Trekに参加するメリットしては、①自由時間が多く、回りたい所を各自で回ることがしやすい、②HBSの他のセクションメイトと仲良くなる機会となる、③HBSの学事日程に合わせてトレックが組まれているので参加しやすい、があるだろう。

どちらを選ぶにしても、日本からではなかなか行く機会がなく、かつ個人旅行ではなかなか見えない部分が多いイスラエル。1年目はJapan Trekを運営することで得られるものが非常に多いので、個人的にはJapan Trekを運営した方が良いと思うが、1年目か2年目のJapan Trekと重ならない期間にHKS主催のIsrael Trekに参加することは非常におすすめだ。

MBA Oath

MBA Oathという宣誓式が卒業式の一日前の今日に行われ、それに参加してきた。これは医者にとってのヒポクラテスの誓いのように、マネジメントの道を進むリーダーにとっての倫理規範となることを目指して2009年に作られたもので、この理念に賛同するMBA生が自主的に参加するイベントだ。2017年のこのイベントは学生とその親族が集まり、Burden HallというHBSで最も大きな会場が半分以上は埋まった。

このイベントで幸いにもスピーカーの一人に選ばれたので、なぜ僕がこの宣誓に署名するかについて、下記のようなスピーチをしてきた。

Coming from a tiny East Asian country, called Japan, two years at HBS was full of surprises.  Who in the world have gone through 500 case discussions facilitated by world-renowned professors. Who have more than 90 friends, who share aspiration to make a difference in the world. Who have close-knitted global community to which you can reach out throughout your entire life. Most people at least in my country do not have a single one of them. This is a privilege, and with great privilege comes great responsibility. As a person who is lucky enough to receive such amazing education, make friends, and build networks, I would like to contribute to society. This is the reason why I sign the oath.

最初の”a tiny country”の出だしのところは笑いを狙っていたが、狙った通りに会場が笑ってくれて、その後がやりやすくなった。with great privilege comes great responsibilityはよく引用される表現の一文字を変えたのだが、気づいた人は気づいてくれたかなと思う。

HBSで2年間を過ごせたということは非常に幸運なことで、僕個人としては得たものを活かして社会に還元していく責任があると思う。この思いを忘れずに、社会を少しでも良い方向に導けるような活動をしたい。

ボストンのおすすめグルメ・レストラン

2年間過ごしたボストン。僕が気に入っていたレストランをいくつか挙げてみます。ボストンを訪れた時の参考までに。

シーフード – Island Creek Oysters

ボストンに来たからにはシーフード、というのであればIsland Creekがオススメ。牡蠣は新鮮だし、クラムチャウダー、ロブスターロールとボストン名物を美味しく食べることができる。お店の雰囲気も良い。難点はいつも混んでいて、予約なしでは夜はかなり待つ可能性があること。Open Tableまたは電話で予約をしてから行った方が良い。17:30のスロットなどは結構直前でも空いている。

Atlantic Fish Companyも美味しいが、こちらも要予約。Island CreekやAtlantic Fish Companyよりも利便性が良いのはLegal Seafoodで、ハーバード・スクエアを含めボストン市内・周辺に何店舗かあるので、ここに行くのも良い。Neptune Oysterも美味しいが事前予約ができず、よほど早く行かないと順番待ちとなって結構待つので、時間がない人にはあまりオススメしない。

アメリカン- Grill 23 (Steakhouse)

せっかくアメリカにいるのだからたっぷりのステーキを食べたい、となったらGrill 23。Tボーンステーキなどが美味しい。Capital Grilleと並んで日本人の中では評価が高いステーキハウス。前菜、肉、お酒にチップを入れて一人当たり$100は覚悟しておいた方が良い。

中華 – Mala Restaurant (Huoguo)

アメリカで中華?、と思うかもしれないが、Mala Restaurantの汁なし火鍋は本当に美味しい。何か入っているのではないかと思うほど中毒性が高く、アジア系の人がハマって、夜18:30を過ぎると平日でも人が並んでいる。4人で行って、キュウリ、羊肉の串焼き、汁なし火鍋、麻婆豆腐、米またはチャーハン、を食べるのが鉄板だ。これだけ食べても一人当たり$30程度と安いのが魅力。人が並んでいる場合は近くのJo Jo Taipeiも美味しいのでそちらに移動するのもあり。Malaは店が狭いので大人数でいく場合にはSichuan Gourmetが広くて数十人でも入るので便利だ。

Harvardの学生はDumpling Houseが近くて良いので、徒歩でいく場合はこちらも便利だ。ただ夜は混んでいて並ぶことも多いので早めに行くか予約した方が良い。

韓国料理 – Koreana (Barbecue)

ボストン周辺で美味しいKoreanといえばSeoul Soulontanだが、Koreanaも肉がうまい。カルビを2人前以上頼むと目の前の鉄板で焼いてくれる。店が広いので、20人以上などの集まりをする際にも便利。

日本料理 – Ittoku (Izakaya)

わざわざボストンまで旅行に来て日本食を食べたくはならないかもしれないが、住んでいると行きたくなるのが日本食レストラン。Ittokuはまさしく居酒屋で刺身からお好み焼き、焼き鳥、寿司まで一通り揃っている。価格も日本食の中ではリーズナブル。Gyukakuもボストンに2店舗ほどあり、こちらは日本よりもお肉の味が美味しい印象。デザートのLady Mというケーキが特に美味しくて女性陣に人気。Sugidamaも居酒屋でこちらはそばが食べられるのでそばが食べたい時には良い。Itadakiも日本食・日本酒を提供しているのでBack Bayに宿泊しているのであれば近くて良い。

* * * * *

参考になれば!

MBA卒業後の進路の選び方

MBA在学中には様々な選択肢が目の前にあり、機会も多い分、卒業後の進路については誰もが悩む点です。今回は進路を選ぶのに役立つフレームワークを、僕の事例を元に紹介します。

僕の卒業後の進路ですが、米系医療機器の会社に就職して、米国に残ることにしました。卒業後にどうするかは、下記のような手順を踏んで考え、意思決定をしました。

Step 1: 価値判断の軸を決める

まず卒業後の進路を考えるにあたり、僕は「目的」(Purpose)、「人間関係」(Relationships)、「金銭」(Finance)の三つの軸で考えました。

「目的」は僕がどのように世界に貢献したいかです。20代の終わりに改めて自分の人生を振り返って気付いたのは、やはり僕は病気を抱えた人やその家族・友人が治療法が見つからずに苦しんでいるのが許せないし、そのことに対して考えたり動いている時に充実感を感じるということです。

だから、世界中の人が自分の病気の治療法を見つけられるような世界にしたいと思いますし、「その目標に繋がる仕事」というのを第一の項目として入れました。

第二に、僕はテクノロジーの力を信じており、テクノロジーを通じてその目標を達成したいと考えているため、「テクノロジーに関わる仕事」という項目も加えました。

第三に、僕は自分でコントロールしたいタイプなので、「事業責任者として動ける」という項目を加えました。

最後に、僕は多様なバックグラウンドを持つ人と働いている時に特に楽しさを感じるため、米国、ロンドン、シンガポールなど「英語圏でかつ世界中から人が集まっている場所で働けること」を第四項目に加えました。

「目的」としては以上の「病気の人を治療する・もしくは治療法を見つけやすくできるか」、「テクノロジー × ヘルスケアか」、「事業責任者か」、「場所」の4つを評価項目としました。

次に「人間関係」ですが、これも大事な要素だと考えました。まず、働く場所は自分の価値観と合うようなカルチャーにしたい、もしくはそんなカルチャーで働きたいので、「企業カルチャー」を第一の項目として入れました。

次に、「一緒に働く人が尊敬できるか、一緒に働いていて楽しいか」を二つ目の項目にし、三つ目としては、「僕の家族が幸せか」、を入れました。

最後に、生活をする上で必要となる「金銭」も評価軸に入れました。僕の場合、「目的」で4つ、「人間関係」で3つ、「金銭」で1つ、の計8つが評価の軸となった。

Step 2: 価値判断に重み付けをする

次にしたことは、それぞれの項目に「重み」をつけることです。僕の場合、計8つの項目に、合計で100%となるように重みをつけました。具体的には「目的」の4つで40%、「人間関係」の3つで40%、「金銭」で20%の重みをつけました。

重み付けの仕方は人により大きく異なると思います。

Step 3: 選択肢を評価する

卒業後の選択肢のそれぞれについて、それぞれの項目に「1(満たしていない)」から「3(満たしている)」まで数字を入れて、点数を洗い出しました。

すると、合計点数が出てきます。進路の選択肢A、B、Cについて具体的に評価してみると下記のようになります。下記の例だと、Aが最も良い選択肢となります。

Step 4: 再検証

評価軸に抜け漏れダブりがないか、自分の重み付けが適切か、卒業後の選択肢がまだ他にないか、を考えました。

大枠は以上のように考えましたが、特にStep 4では妻も含め、色々な人に相談をしました。

僕の場合、特に迷ったのは起業という選択肢をどう考えるかです。

アメリカで起業するという選択肢

起業する場合、場所の選択肢としてはアメリカか東京の大きく二つを考えました。現状、インターナショナル生でアメリカで卒業後も起業して残る道はあるが、かなり狭いです。

卒業後にはOPT (Optional Practical Training)という期間が1年間あり、その間に多くの場合は起業家(E2)ビザ取得を目指すことになります。E2ビザ取得には起業家として成功してアメリカに貢献することを示す必要があり、この評価基準は、資金調達、アメリカ人の雇用、ビジネスプランの妥当性が必要です。

アメリカは当然のことながら起業家志望も多く、競争も激しいため、言語がネイティブでない、文化が違う、永住権がない、の三つの壁を乗り越えて相当額の資金調達をして雇用を生むのは、かなり細い道だと感じました。

資金調達できなければ、米国登記した会社や開発したものを置いて国外へ出ないといけないです。夏に作成した医療用アプリですが、病院・クリニックにサービスを販売することの困難さを理解できていなかったこと、規制と訴訟リスクの高さを過小評価していたことから、残念ながら公開停止しました。僕の場合、医療分野の経歴があるわけでもなく、医療業界という特殊な業界で卒業後すぐに起業できるだけの自分ならではの強みを見い出すことができませんでした。

また、自分一人ならば「えいや」で残る手もあったかもしれないですが、留学で貯蓄も減っていたことと家族のこともあり、そこまでのリスクを取りたくもなかったのも本音です。他のアジア人の米国での起業家を見ると、米国企業に就職して在住数年→グリーンカードを申請→起業、のパターンが多く、そちらの方が現実的だと感じました。よって、米国ですぐに医療分野での起業という選択肢は切りました。

東京で起業するという選択肢

東京に帰って起業するという選択肢も考えました。こちらは市場の土地勘もあるし、ネットワークもあるし、起業する上では良い環境です。起業は失敗を繰り返して、それでも諦めずに続けて何度かやってようやく成功するものだと思っているので、卒業後できるだけ早いうちに始めることには大きなメリットがあります。

海外で、勝負していたい

一方で、せっかくMBAを出て海外にいますし、もう少し海外で揉まれてチャレンジを続けたいという気持ちも強かった。米国の良いところは競争がより激しく、優秀な人が集まっている上、自分自身が語学、文化、土地勘でハンディキャップを負っており、より成長できる環境だと感じました。

また、特に医療テクノロジーの最先端はやはり米国で、より多くのことが学べるだろうという好奇心もあります。妻もまだ昨年に米国に来たばかりでこれから大学院に行く考えもあり、米国でまだ過ごしたいという思いもありました。これらの理由から、卒業後すぐに東京へ戻ることには躊躇がありました。

これらを考慮して考えた結果、選択肢Aの米国医療機器企業に就職、が最も点数が高かったです。妻の希望もありますが、何よりも僕の好奇心も米国に残りたいと告げていました。

就職先が、新商品のProduct Managerという僕がこれまでやってきたことであり、かつ最も情熱を注げる職をオファーしてくれたことが、大きな理由の一つでした。

アメリカで、優秀な人たちと働くというのはどんなものなのだろう。最先端のヘルスケアテクノロジーはどうなっているのだろう。新しいものを生み出せて、世界中の患者さんに良いインパクトを与えられたら、それはどんなに素晴らしいことだろう。フレームワークを用いて整理して考えましたが、最後は自分のワクワク感に沿って決めました。

これらが僕が意思決定をした手順です。MBAにこれから行く人・在籍中の人にとって少しでも参考になると嬉しいです。