HBS Japan Trek 2016

HBS Japan Trek 2016というHBSの同級生を連れて日本を旅する企画が昨日終わりました。参加者は昨年度よりも77%増加し、108名の参加者、11名の幹事団というJapan Trekとしては過去最大級の規模で、HBS同級生の8名に1人が参加した計算になります。今年は9日間かけて京都、広島、名古屋、東京を巡り、日本の文化、歴史、ビジネスについて視察・観光しました。

Japan TrekはHBSに通う日本人の1年生が例年行っているもので、伝統行事なのですが、今年は運営団が11名いることを活かし、「参加者に楽しんでもらうことを通じて、日本についてより知ってもらうこと」を目的に以下のような工夫を行いました。

  1. 全体で動くよりも、小グループで動けるようにオプションの数を多くした。
    例えば、食事は夕食があった8日のうち、初日のウェルカムディナー、3日目の広島での座敷宴会、8日目夜の屋形船でのフェアウェルディナー、を除き、5日間は参加者に食事する場所の候補を8か所程度(寿司、居酒屋、焼肉、などジャンル別に毎日1件ずつ)提示し、選んでもらう形式にしました。これにより、参加者は食べたい料理を選ぶことができ、食事の満足度が増しました。

    また、同様に毎日のアクティビティについても、全体で行った京都の観光(伏見稲荷神社、金閣寺、嵐山)、広島の観光(原爆ドーム、平和記念資料館、宮島・厳島神社)、要人訪問(菅官房長官、楽天三木谷社長)などを除き、参加者に幹事団主催のツアーを提示し、選んでもらう形式にしました。これにより、例えば禅体験をしたい人は禅体験を、寺をより回りたい人は清水寺ツアーを、市場を体験したい人は錦市場のツアーを選び、それぞれの参加者がニーズに合わせたプランを組むことができるようにしました。これも満足度を高める要因になったと思います。

  2. できるだけトレックに伴う不便を減らした
    紙ベースで60ページを超える詳細なTrekのガイドブックを作り、配布しました。ガイドブックはスケジュール、地下鉄路線図やホテル、レストラン、観光の場所が記載されており、それぞれのトレッカーがたとえ迷ったとしても次の目的地にたどり着けるようにしました。また、ガイドブックの最後には幹事団と参加者の名前と顔写真を載せており、トレック参加者がお互いに名前を覚えて仲良くなりやすいようにしました。

    日本では無料WiFiがあまり普及しておらず、メッセージングアプリでコミュニケーションをとりたい海外からの旅行者にとって不便な状況ですが、できるだけWiFiを利用できるよう、幹事団がポケットWiFiを持ち歩き、幹事と一緒に行動している限り参加者がオンラインになれるようにしました。これにより、その場での写真の共有や他グループとの連絡が容易になりました。

    また、ベジタリアン、ペスカトリアン対応も人力で行いました。日本の食事処はまだベジタリアン、ペスカトリアン食を出すところは少なく、アレルギーなどの個別対応を行うことにも慣れていないため、幹事団が皿ごとに入れ替えるなどして、参加者が食事面で不便を感じないようにしました。

これらの工夫により、参加者からの満足度は非常に高いものとなると同時に、参加者にとっても得るものが多い旅になったと思います。「こんなにWell-organizedなトレックに参加したのは初めてだ」、「広島での体験がとても印象的だった。親に広島での体験を話していたら、涙が出てきて、親と一緒に電話で泣いてしまった」、「日本に来て知ることで、より日本が複雑な国だということがわかるようになった。神社や寺に行くという宗教的な行為をする一方で自分たちは宗教的でないと思っている。他国の文化や慣習を取り入れるオープンさがある一方で、移民に対してはクローズなところがある。一見矛盾する要素が共存しているように見える」などなど。最終日には出会う参加者ほぼ全てから最高だった、と言ってもらえました。当初の目的であった、「HBS同級生に日本を楽しんでもらい、知ってもらうこと」、は達成でき、大成功で終わったのではないかと思います。

幹事団の一人としても、今回のトレックを運営したことはHBSの体験の中でも最も価値あることだと感じました。まず第一に、参加者の多くと新しく知り合うことができ、さらに親しくなる機会であったこと。そもそも日本に興味を少しは持っている人たちなので話しやすく、今回のトレックを通じて数十人と新しく知り合うことができ、数人とはかなり仲良くなれたので、来学期以降の人間関係がかなり楽になると思いました。第二に、幹事団のメンバーとより親しくなる機会になったこと。やはり一緒にプロジェクトをしてみることでわかることが多く、このトレック一緒に企画・実行し、一緒に達成感を感じたことは、この先ずっと続く友情につながるのではないかと思います。第三に、今回のトレックはあらためて日本を見つめ直す機会を与えてくれました。日本は自然、文化、歴史、食、と観光資源が豊かな国であり、おもてなしの心や安全な治安と合わさり、旅行先としては非常に魅力的な国だと思います。ただ、現状は特にその魅力を外国語で十分伝えることができるガイドが不足していること、多様な食事制限に答える食事処が少ないこと、などの要因でその魅力が日本人と一緒に旅しないと伝わりにくいと感じました。今回の旅でも参加者の中にはまた日本を訪れたいという人は多く(今回のトレックでは私たちと一緒であったのでほとんど不便は感じなかったのではないかと)、これらのネガティブ要因を改善することで、よりリピーターを増やすことに繋がるのではないかと思います。

HBS1年目を終えて

HBSでの1年目が終了した。僕がMBAで何を得ようとして、結果として何を得たかについて、全体、学業、友人関係・ネットワーキング、課外活動、キャリアの順に振り返ってみたい。

1年目の感想

MBAは”transformational experience”、とMBAのadmissionは言う。”transformational experience”の定義にもよるが、文字通りの「人生が変わる体験」と定義すると、僕にとってはそうだったな、と思う。

変わったものでいうと、ビジネスを見る視点は広く、深くなったと思う。入学前は前職のプロダクトマネジャーの視点から物事を見ていたのに対して、この1年でビジネスに関しては他の機能(ファイナンスやオペレーション等)やリーダーの視点でも物事を見ることができるようになった。政治、経済については世界で起きていることを抽象化して見れるようになった。決断の際に、経済的な視点だけでなく、法的や倫理的な面も含めて考えるようになった。こうした視点の変化は、250以上のケースディスカッションを通じて徐々に培われたものであり、より良い意思決定に繋がる。

次に、友人のネットワークが圧倒的に広がった。これまで僕は日本で生まれ、学び、働いてきたので、大学や社内で出会った海外の友人もそれなりにはいたが、ネットワークは圧倒的に日本が中心だった。一方、今は国籍ベースで言えば本当に世界各地に友人がいるようになった。HBSの「仕組み化された」ネットワーキングのおかげで、今は40ヶ国籍以上の友人がいるし、国名を聞くと友人の顔がパッと出てきて、それぞれの国を近く感じる。このネットワークや世界の近さの感覚は期待以上のものであったし、僕の将来の可能性を広げてくれた。

また、知らない世界で挑戦してもなんとかなるという自信が生まれた。渡米前は、海外と主に仕事をしていたと言っても、ディスカッションでうまく貢献できなかったり、日常会話で苦労したりと、英語圏で仕事をするには力不足と感じることが多かった。渡米後の今でも英語と話題は今でも課題があり(ドラマ、映画、音楽、スポーツ、本、ニューヨークのローカル話題、どれも分からない。。) 、この課題の克服にはおそらくあと5年くらいかかると思うが、9ヶ月かけて少しずつ状況は改善されてきた。また、足りていない能力でもここまで学業と友人関係の実績を築き上げてこれたというのが自信になった。加えて、先人達のおかげでHBSというブランドもあるので、ビザの問題を除けば、卒業できれば おそらく就職することはでき、食うに困ることはないかなと思う。自信とセーフティネットを得たことで、より挑戦する意思が強まった。

一方で、変わらないことを確認したものもある。それは自分のコアな価値観であったり、性格だ。HBSの1年目はLGBTの活動、米国内経済的格差、モロッコでの体験、セクションメイトから聞く話、から自分が知らなかった世界を知る機会が多く、それらを通じて自分の視野は広がった。10代や20代前半であれば、もっと価値観に影響を受けたのかもしれない。ただ、僕ももう30代で、自分がどんな価値観を持っており、何が好きで、どんな時に幸せを感じるのかは、渡米前にだいたいわかっていた(僕が好きなのは、挑戦すること、慌てず・焦らず・諦めず前に進むこと、挑戦から新しいものを学ぶこと、情報を集め、分析し、戦略を立てて実行すること、アイデアを出すこと、人と一緒に新しいものを生み出すこと、人を成長させること、人を受け入れること、世の中にとって自分が良いと思うことをすること、等)。僕にとっては、この1年を通じて、そうした自分のコアな部分が変わることはなかった。

まとめると、HBSの1年目が”transformational experience”だったか、という問いには、僕にとっては人生の可能性を広げてくれたという点でそうだった。また、同時に僕にとってコアな部分は変わらないことも確認できた。HBSでは4つの分野 (学業、友人関係、課外活動、キャリア)に分けて物事を進めてきたので、それぞれについて振り返りたい。

学業 (Academics)

1年目は計10の必修授業とFIELDという実践授業を受けた。授業は以下のようになる。

  • 政治、経済を扱う授業
    • BGIE (Business Government and International Economy)
  • 企業の中の特定の機能を扱う授業
    • Strategy、TOM (Technology and Operations Management)、Marketing、Finance 1、Finance 2、FRC (Financial Reporting and Control)
  • リーダーシップを扱う授業
    • LEAD (Leadership)、LCA (Leadership and Corporate Accountability)
  • アントレプレナーシップを扱う授業
    • TEM (The Entrepreneurial Manager)
  • 学んだことを実践に移す場・チームワーク
    • FIELD1/2/3

この中でも僕が最も学びが多いと感じたのが1学期目のLEADと2学期目のBGIEだ。LEADではリーダーの行動と決断のケースから、いかにチームをマネージするか、効果的な人間関係を築くか、いかに組織を作り上げるか、いかに組織を変えるか、について学んだ。こちらは授業でのtake-away(学んだこと)で目から鱗のことが多く、加えて教授のMukundaの議論のファシリテーションの仕方が素晴らしかったため、非常に学びが多い授業だった。楽天の英語化のケースを扱ったのもこの授業だ。この授業を受ける前と後で、自分のチームや組織に対する見方が変わり、マネジメントの仕方も確実に変わったと思う。

BGIEは世界に対する見方を変えてくれる科目だった。大半の授業では国のケースを扱い、それぞれのトピックに関連する事柄に分析の焦点が当てられる。例えばインドを扱ったケースでは、「多民族国家で収入格差が非常に大きく、教育水準も高くないインドではどうして独立以降民主主義が生き残っているのか」、という問いについて議論した。その中では、カーストの文化により、人々が自分の社会的ポジションに納得するような構造となっている(人々が自分の置かれている社会的ポジションに納得いかなくなった時、暴動が起きたり、社会が不安定化する)という観点が出たりする。また、その一方で、人々が民族や言語別によって投票するようになり、統一的な政策が打ち出しにくいという問題点も議論されたりする。今までにぼんやりとしていた、国家とは何か、民主主義とは何か、それらが成り立つために必要な条件は何か、を要素として話せるようになった。この授業を通じて、国レベルで、どのような政治的な目的があり、それを達成するためのツールとして何があり、実行に際しての制約に何があるか、を経済的、政治的に考えて議論するための下地を作れた。この下地はビジネスの機会の分析において有用なだけでなく、社交の場での会話の種にもなり、今後の人生を豊かにしてくれると思う。

その他の授業からも各領域について、自分が意思決定をする際に、どのような枠組みで分析を行い、打ち手のオプションを考え、それを評価するか、についてのプロセスを学ぶことができた。よく言われることではあるが、何せほぼ毎日、異なる状況のケースを分析して自分だったら何をするかを考える、というプロセスを行っているので、分析をする際の広さと深さは増したと思う。

また、これは最近感じた想定外のメリットだったが、250以上のケースを議論することによって、他の業界の人と話す時の知識のベースを作ることができた 。例えば、以前製薬企業の人と当局との折衝について話をした時だ。僕は渡米前は製薬企業の開発やマーケティングのプロセスを殆ど知らなかったが、製薬企業のケースを複数扱った経験から、治験のどの段階でどういう折衝が行われるのか、という話をより突っ込んで質問して、話すことができた。業界についての知識はケースを読む主目的ではないが、副次的に得られるメリットでもあった。

身につけた考え方のプロセスを実践で活かすのがFIELDという実践授業だ。個人的にはFIELDはチームワークの経験としては良かったが、学業という観点での学びはさほど大きくなかった。新興国へ行きコンサルティングプロジェクトを行うFIELD2は違う文化の国を体験するという点では良いが、現地滞在は1週間強なのでインプットもアウトプットのレベルも限定される 。スタートアップ体験をするFIELD3もチームワークの体験やスタートアップを行う大変さを味わえたという点は悪くはなかったが、学びという意味では他の授業と比べるとやや落ちた。僕としては、実践を通じて学ぶ機会は、夏のインターンシップが主になりそうだ。

友人関係・ネットワーキング

僕にとってHBSで最も大きな財産となるのが、この友人関係・ネットワーキングだ。1年間の授業を同じ教室で過ごしたセクションFの93人とは卒業後も5年に一度、同窓会で会う生涯の仲間だ。チームワークで1学期間を共に過ごしたディスカッショングループの5人、FIELD 2のチームの5人、FIELD 3のチームの4人、EVOLVEという少人数の人生についてディスカッションを1学期間かけて行うプログラムのチームの4人とは話す機会も多く、仲良くなった。寮での生活、Asia Business Conferenceの運営、スタートアップ関連のイベントでも良い友人ができた。HBSは人数が多く、HBSカルチャーで繋がり 、しかも活躍する人が多いので、友人として人生を一緒に 過ごす喜びだけでなく、プロフェッショナルとしてもこのネットワークは役立つものだと思う。

また、日本人の友人にも恵まれた。HBSで1年生の13人、2年生の7人は皆個性があり、仲が良く、一緒にいて居心地が良い。HKS (Kennedy School)、HLS (Law School)やPublic Healthにも友人がおり、数回飲んだりとHarvard内でもいい友人関係を築けたと思う。冬の飲み会はかなりカオスで、楽しい写真が結構撮れた。加えて、MIT、Wharton、Kellogg、DukeのMBAの友人たちやボーゲル塾を通じて知りあった国際政治分科会の人たち、ヘルスケア勉強会の人たちとも一緒に様々なことを語り合えて、良かった。特に中国の経済成長、中東情勢、移民などの国際政治における議題に対して、日本はどうするべきか、を官庁、自衛官、マスコミ、アカデミアの方々とボーゲル塾で毎回語るのはとても有意義で、学びが多かった。

人間関係を大幅に広げることができるというのはMBAの特権なのかなと思う。 様々な背景を持つ人がいて、時間があり、お互いに利害関係のない状態で話ができる。話をしてお互いの知らないことを共有し合うと共に、学生でないと出会わない人たちが出会うことで、新しい化学反応が生まれる。友人関係・ネットワーキングで得られるものは想像以上に大きかった。

課外活動

1年目はHarvard日本人会のHBS代表、ボーゲル塾国際分科会への所属、Asia Business ConferenceのCTO、Japan Trek運営という活動を行った。これは他のHBS生と比べるとおそらく平均よりは多い活動であり、活動の選択についても満足している。

入学する前にはわからなかったが、HBSの1年目は学業、ネットワーキング、キャリアが忙しく、クラブや課外活動に時間を注ぐ人はそんなに多くない。僕の知る限り、HBS以外の米国2年制MBAは金曜日が休みだが、HBSは金曜に授業があり、学業での負担が結構重い。セクションという仕組みで93人の新しい友人と1年過ごすので、クラスメイト全員と話そうと思えばかなり時間がかかる。キャリアは人生の一大事なので、企業派遣で来ていたり、家業を継ぐ人以外にとって最優先になる。こうした理由から、優先順位をつけていくと低くなるのがクラブや課外活動となる。

僕としては、やりたい経験はできたと思う。Harvard日本人会、Asia Business ConferenceではHarvard内の繋がりを、ボーゲル塾ではボストンでの日本人の繋がりを広げることができた。そして、Japan Trekでは日本人内の運営団で 一つのものを作り上げている。これから始まるJapan Trekでの他セクションの人と仲良くなるチャンスも楽しみだ 。

キャリア

1学期目は学業と友人関係・ネットワーキングで結構手一杯で、iLab Scrambleというスタートアップのイベントに参加したり、iLabで不定期に開かれるイベントへの参加がメインだった。2学期目はNew Venture CompetitionというビジネスコンテストにHMS (Harvard Medical School)の学生と組んで出場し、応募まではそれなりに時間を使っていたが、上位16チームには選ばれず。一方、Rock Summer Fellowsという起業を考えている、あるいはスタートアップで働きたい人向けの夏の支援プログラムには選ばれることができた。1年目にやりたかったことはやったが、キャリアに関してはもう少し時間を使ってリサーチを進めたり、インタビューをしたり、アイデアを考えることに時間を使いたかったな、というのが本音だ。

今はというと、デジタルヘルスの領域で新しいビジネスのアイデアを考えたいと試行錯誤していて、まだ”これだ”、というアイデアを思いつけていないのが現状。Tele Medicineは将来的により普及する業界だと思うが、スタートアップでやるには既に大きいプレイヤーがいて勝てる道筋が描けない(規制の動向次第だが)。ある一定の患者へのAIの医療行為への適用もビジネスアイデアとして考えたが(New Venture Competitionに出したのはこれ系のアイデア)、liabilityの問題、monetization、処方箋のロジをどうするかが課題でこれを解決できていない。Omada Health的な医療費削減分を企業に請求するB to B to CのビジネスやCastlight Healthのような医療費最適化のB to B to Cの提案サービスも面白いと思うが、公的保険の範囲が限られている米国ならではのサービスだし、ここも今から勝負しても難しいな、という感じ。IoTを使った診断革新系のサービスはリサーチ不足でまだ面白い技術を見つけられていない。

今はより健康的な行動ができるよう、行動変容を促すB to Cビジネスを考えており、夏はそのアイデアを深掘りして検証しようと思っているが、まだまだ生煮え。2学期の後半にややダレてしまったところがあるので、その時間を使ってもう少しキャリアに時間を使えばよかったと反省。

2年目について

1年目は学業、友人関係、課外活動、キャリアともに計画したことの多くは達成できて、70点くらいだ。反省点としては、ややダレてしまった時間があるので、それを運動と英語の勉強にあてられたらより良かった。

2年目は1年目をベースにして、さらに積み重ねていく予定だ。学業では将来ビジネスを行う上で必要となるファイナンス、組織論などの科目を履修する予定だ(Entrepreneurship Finance、Negotiation、Managing, organizing, and motivating for value、Designing competitive organizations等)。友人関係では友人を定期的に自宅へ招待して、仲良くなり、卒業後ずっと仕事や人生について相談できる8人程度のboard memberを作りたい。課外活動としてはマラソン大会に向けてトレーニングし、ボストンでのハーフや、シカゴのフルマラソンに出場する予定だ。キャリアについてはNew Venture Competitionなどのビジネスコンテストで勝てるだけのチーム、ビジネスプラン、商品、実績を2年目に作りたい。

MBAは21ヶ月間の、今後の人生のベースを作る期間。精一杯活かしたい。

FIELD 3 – ビジネスを立ち上げる

本日はFIELD 3というビジネスを立ち上げる授業の発表会。各セクションで18チームがプレゼンテーションを行い、15週間で作り上げたビジネスを発表した。僕らのチームはLOCALSというローカルな体験をしたい旅行者と旅行者をガイドして収入を得たい地元の人のマッチングサービス(Airbnbの旅行ガイド版のようなもの)を立ち上げ、その結果をプレゼンテーションした。

コンセプトとしては良いと思っていたが、実際にやってみると想定外のことが多く、立ち上げるのにかなり苦労した。具体的には

  • ガイドしても良いという地元の人がなかなか見つからない
  • 見つかっても、そのガイドの質が低く、お金を取れるほどのサービスにならない。
  • 質の確認がオンラインだけでは難しい
  • ガイドが集まらないと、ユーザーをサイトに呼んできても購入してくれないので、立ち上がりが遅くなる(いわゆる2 sided-marketの立ち上げの際の卵と鶏の問題にぶち当たった)
  • ガイドが空いている時間とユーザーのガイドしてほしい時間が合わない(2 sided-marketの需要と需要をすり合わせる問題)
  • 結果として顧客獲得コスト (Customer Acquisition Cost)が生涯顧客価値 (Customer Lifetime Value)を上回り、ビジネスにならない

という問題にあたった。ガイド側の需要の刺激、品質コントロール、2 sided marketの問題、は数週間という短い期間で片手間に動いていてもなかなか解決が難しく、結局収益をあまりあげることはできなかった。

最終的な審査員であるVCからの評価はセクションで真ん中くらいで、「経験の価値が大きくなっている今、将来的に大きくなる可能性のあるビジネスだと思う。ただし、ガイドの品質コントロールが難しく、スケールに時間がかかる」というもの。結局、1都市ずつ攻めていかなければならないので、そこでかかる時間が一定期間の間で大きなリターンを狙うVCにとってネックになったようだ。また、僕らが調べた限りでは見つからなかったが、どうやらHBSの卒業生で2000年代に同様のサービスを始めて、今ではそれなりに大きくなっているサービスもあるようで、そこと競合するとも指摘された。これらの指摘はもっともであると思うし、最終的な評価については納得だ。

FIELD3は2 sided marketをやってみることで気づくことも多く、プラットフォームビジネスを立ち上げる際に気をつけることを学べたことが良かった。また、パキスタンのエンジニアと一緒に動いたのだが、彼らに支払った金額に対してのアウトプットの品質に驚いた。MVP (Minimal Viable Product)レベルであれば、十分に作れるという印象。スタートアップでエンジニアリングをアウトソースしなければならない状況であっても、かなりのところまではできると学べたのも大きな収穫だった。

また、友人作りという意味でもとても良かった。Sabrina、Terrance、Alex、Samというアメリカ人4人と組んだのだが、この15週間を通じて彼らのことをより深く知ることができた。FIELD3まではそこまで深く話したことのなかった彼らと一緒にプロジェクトを行い、達成感と友人関係を得ることができたのは、非常に大きな財産だ。

FIELD 3の他のチームの結果であるが、うちのセクションの優勝チームはカメラのライティング用器具が風で飛ばないようにするという製品で、1年生全体の優勝チームはヘルメットに取り付ける脳震盪を防ぐための器具だった。両方ともかなり絞ったニーズに対して技術で挑み、今日までにそれなりの売り上げを上げ、特許を申請するなど、かなり本格的なチームだった。両方のチームとも、プレゼンを聞くと優勝が納得の出来。ビジネススクールの学生のみで組んだチームでありながら、技術をチーム内で開発して売り上げを上げるところまでもっていったというのが驚き。エンジニアとして働いてからビジネススクールに来る学生も一定数おり、それだけのタレントが揃っているのが、HBSの層の厚さなのだな、とあらためて感じた。

New Venture Competition

HBSでは毎年New Venture Competitionというビジネスプランコンテストを行っている。エントリーにはHBSの卒業生または在校生がチームにいることが必要で、賞金総額は$300,000相当とビジネススクール主催にしてはかなり大きなコンテストだ。在校生の営利目的のベンチャー、非営利目的ベンチャー(NPO等)、卒業生の営利目的のベンチャー、の計3つのコースがあり、在校生は在校生のコースへ応募することができる。審査は主にビジネスプランの書類とプレゼンテーションで行われ、各コースについて最終選考に残った4チーム(ファイナリスト)、計12チームがBurdenという大講堂でピッチをする機会を得る。

4月26日(火)はファイナリストによるピッチをする日だった。日本人留学生のはるうみさんが創業したNature.Incが営利目的ビジネスのコースでファイナリストとして選定され、90秒のピッチを行った。結果は惜しくも受賞はならなかったが、100を超える応募の中から最終4チームまで残ったのは大きな実績であり、この実績が今後のPRや資金調達に繋がるのではないかと思う。

ビジネスコースでの優勝者は肺がんの検査キットのビジネスであった。プレゼンテーションを聞く限り、小型で、扱いやすく、コストも安く、しかも市場も大きいという。90秒のプレゼンでポイントのみなので詳しいメカニズムは聞けなかったが、もしこれが本当ならばかなり革新的な技術だ。

卒業生の部、在校生の営利目的、非営利目的ベンチャーの部のファイナリスト12チームの中で、女性向けの健康相談のPeer to PeerサービスやTelemedicineなどヘルスケア関係のビジネスが6チームを占めており、あらためてボストンがヘルスケアに強いことを実感した。

HBSはEntrepreneurshipに力を入れており、New Venture Competitionに加えて、Rock Summer Fellows (夏休みの間、スタートアップに挑戦しようとする人を金銭的にサポートする制度)、iLab (スタートアップに関心を持つ人へオフィスを提供したり、様々なセミナーやネットワーキングの機会を提供する施設)など支援する仕組みがある。HBSで過ごす1年9ヶ月はリスクフリーな期間なので、これらの機会をフルに使って起業準備に充てるのも一つのHBSの過ごし方だ。

MBA1年目の夏休みの予定

楽しい時間はあっという間に過ぎるというが、気づけばHBSの1年目もあと4週間となった。5月6日からは期末試験が始まるので、授業日数もあと数えるほど。2年生は授業がほとんど終わっており、今週末には2年生の送別会を行う予定だ。1年目の終わりは着実に近づいてきている。

夏休み(15週間)だが、僕は東京、ニューヨーク、ボストンの3都市に主に滞在する予定だ。幸いにもRock Summer Fellowsという起業・スタートアップへの参加をする学生を金銭的に応援するプログラムに受かることができたため、東京、ボストンで過ごす10週間は新しい事業のアイデア、プロトタイプを作り、2年目に繋がるものを作りたいと思っている。また、ニューヨークではインターンを4週間行う予定だ。これにJapan TrekでHBSの学生を日本で案内する1週間を加えると、もう15週間となり(10 + 4 + 1)、夏休みも終わってしまう。

2年間というのはこちらへ来る前までは長いように思えたが、実質プログラムは9月始まりの5月終わりの21ヶ月であり、学校生活、夏休みと詰め込むと仕事をしていた時と同じくらいすぐに過ぎてしまう、というのが実感だ。

Free Food at HBS

HBSのキャンパスの寮に暮らしていると、まともな台所が近くになく、食事がSpangler(食堂)で食べるか外食になりがちだ。Spanglerは外に比べれば多少は安く、品質も高いと思うが、毎日だとやはりそれなりの金額になってしまう。

参考までにだが、僕は平日はSpanglerで3食済ませることが多く、朝 $5 (コーヒー、バナナ、パン)で昼はだいたい$9、夜は$11.5程度のことが多い。コーヒーを1日2杯買うことも多く、そうすると追加でさらに$2.5くらいかかることになるので、なんだかんだでSpanglerに1日$28 (約3,100円)くらい食費に使っていることになる。単純計算すると、1ヶ月で$866 (約9万5千円)。これはなかなかバカにならない金額だ。

ちなみに外食で持ち帰りでも意外とこれくらいはする。具体的には、近くのPinocchio (Pizza)で2切れとサラダを頼むと$12以上するし、Fast foodのTasty BurgerでBurgerとサラダを頼んでも$10くらいはする。もちろんBurgerだけであれば$6くらいで食べられると思うが、お腹がすくし、何よりも不健康だ。

そこで出てくるのが、フリーの食事の機会。具体的には、HBSでは以下のような機会がある

  • 授業で用意される昼食(FIELDなどで昼まで連続して作業の時):月1回程度
  • 学校主催のイベント(キャリア等)で用意される昼食: 2ヶ月に1回程度
  • 昼のセクションイベントで用意される昼食: 月2回程度
  • クラブのイベントで用意される夕食(Tech Club):月2回程度
  • 寮(McCulluch)で用意される夕食:月2回程度
  • International Food Festival: 年1回

僕が定期的に利用しているのはセクションで用意される昼食くらいだが、食費を節約しようと思えば、意外と機会はある。そして、それらのイベントに参加してみると、フリーフード目当ての人が意外と多いことにも気づく。こういった光景も、またHBSの一面だ。

HBSの友人

今日は授業が午前中のみで、久方ぶりの楽な1日。授業後にはBGIEのSawyer教授とのグループランチ、Japan Trekの打ち合わせ、仲の良いセクションメイトとのコーヒーチャットをしてきた。今の時期のMBAというのは夏の過ごし方が話題に上がることが多く、自然と会話は夏をどう過ごすか、卒業後に何をしたいかの話になった。卒業後に何をしたいか、を聞かれて僕は下記のように答えた。

「正直に言うと、まだ決めていない。アメリカに残りたいという気持ちは強いけれど、卒業までにこれだというものを見つけることができれば、自分でビジネスを立ち上げることもしたいと思う。ただ、アメリカに残るとしたら、僕はネットワーク、市場の知識の点でも他のHBS生と比較して強みがないから、いきなり起業するのは難しいように思える。おそらくテクノロジーの業界に就職して、グリーンカードが取れるまで数年働く道が有力だと思う。」

そう答えると、彼は少し驚いたように、こう返してきた。

僕の目から見ると、アメリカ人よりも留学生の方が強みがあると思うよ。そもそも、HBSの入学の基準は留学生の方が高いと思うし、留学生の方がより幅広い視野を持ち、かつ違うものを受け入れる受容性が高い。ネットワークについては確かに学部をアメリカで出ているかどうか、こちらで働いていたことがあるかどうかはあるかもしれないけれど、ビジネスに関してはHBSを出ることで殆ど差はなくなると思う。僕の目から見ても、僕の友人の評価を聞いてもAkiはsincereでthoughtfulだと高い評価を得ているし、起業について言えば他のHBS生と比べてもむしろ有利なポジションにいるのではないかな。

こちらに来てから、留学生であることの壁を感じていたので、逆に強みだという解釈は新鮮だった。また、自分の出来なさ(主に英語から来る)に目がいっていたので、セクションメイトに良い印象を与えることができていた、というのは素直に嬉しかった。気づかないうちに、自分で自分をまた枠にはめて、comfortable zoneに入ってしまっていたのかもしれない。

彼とはそのまま、将来どのようなことをしたいのかを話した。ヘルスケア、地球環境問題、教育、という彼が関心を持っている分野は僕も関心がある分野で、興味関心が似ている。また、お互いにテクノロジーの力を信じており、どうやってテクノロジーを用いて世の中を良い方向に持っていけるかを考えている点も似ている。10年後の世界はどうなっているだろう。僕らはそんな変化の中、一体どの分野で面白いことをしてやろうか。

仕事でもそうだと思うが、定期的に客観的なフィードバックを与え合え、現在と未来を語りあえるような友人は、とても貴重だ。そういう人と出会えたというだけで、僕にとってはHBSへ来た価値があったと思える。

HBS白熱教室 (Leadership and Corporate Accountability)

あなたはドイツに本社のあるツアー運営会社の、スウェーデン支社の社長である。スウェーデンでは冬になると暖かい土地へ家族で旅行に行くのが人気で、タイは人気の地域の一つだ。2004年の12月26日、あなたがクリスマス休暇を取っている時、タイで津波が起きたというニュースが入ってきた。あなたは休暇の予定をキャンセルし、急いで会社に戻る。会社では従業員が現地担当者に電話をしており、情報を集めている。しかし、カオラック地域に繋がらず、800人のツアー参加者の安否がわからない。従業員は必死になってツアー参加者にコンタクトを取っている。従業員はそれぞれの部署で考えて動いているように見える。自分は何をするべきか? 他のタイの地域も合わせると、4000人を超える自社のツアー参加者がタイにいる。政府も報道機関も十分な情報がない。現地にいる参加者に対してどうするべきか? また、マスコミや政府からの問い合わせも来ている。どう対応するべきか? 数時間後には他のツアー会社との共同運行でさらにタイに向けて、スウェーデンからチャーター便2便が飛ぶ予定だ。他の会社はタイは大丈夫だとして、飛行機を飛ばしたがっている。自社の旅行者にタイは状況がわからないからキャンセルを強くお勧めする、全額返金する、と伝えても8割の旅行者はそれでも行きたいと言っている。キャンセルすると、他のツアー会社の乗客への補填と合わせて数億円の出費となる。このまま飛行機を飛ばすか、キャンセルするか? あなたは社長として、どうするべきか。

LCA (Leadership and Corporate Accountability)は白か黒かが明確でない、グレーゾーンの判断をいかに行うべきか、を扱った科目だ。上はそのうちの一つの事例(実際は19ページ)。学生は与えられた質問に対して、それぞれの意見を持って、クラスに臨む。

僕のLCAのクラスの教授は元HBO社長のHenry McGeeだ。教授が現地にいるスウェーデン旅行者に対してどうするべきかを問いかける。一人の生徒があてられ、意見を述べる。

私はフライトをチャーターして、現地にいるスウェーデン旅行者全員を避難させるべきであると思う。私たちは顧客に対して責任を負っている。タイの状況は不確定で、顧客を一刻も早く避難させるべきだ。

それに対して、教授は、責任の範囲を尋ねる。スウェーデン人の旅行者全員に対して責任を追っているのか、それとも自社ツアーの顧客だけを対象にするのか。意見を述べた生徒は、他社も含めたツアー旅行者に対して責任があり、避難させるべき、と答える。そこで僕は違う意見を持っていたので、手を挙げて、さされ、自分の意見を述べる。

私はその意見に反対だ。私たちはツアー会社であって、顧客が安全な旅行を提供することに対して責任を追っているが、全てのタイにいるスウェーデン人に対して責任があるわけではない。それはスウェーデン政府の責任だ。また、私たちに全てのスウェーデン人の輸送を手配できるだけの財政的な能力もない。私たちは私たちの顧客の帰国を優先し、その他のスウェーデン人に対しては政府や他旅行会社と協働して動いて避難を進めるべきだ。

そこで教授は、まだ状況がはっきりしていないことを述べ、それでも今飛行機を手配するのか、どれくらいの人数の分の手配をするのか、を突っ込んで聞いてくる。私たちが誰に対して、どんな責任を負っているのか、それをどう満たすのか、のディスカッションとなり、顧客、投資家、従業員、社会に対してどんな責任を負っているのか、が黒板に書かれていく。

論点が移り、今まさにスウェーデンを飛ぼうとする飛行機を止めるのか、止めないのか、の議論が始まる。一人の生徒が言う。

私は飛ばすべきだと思う。私達は乗客に対してタイの現状が混乱の中にあること、キャンセルで全額返金することを説明して、その上で顧客は行くことを選択している。私たちは説明責任を果たしている。また、他の旅行会社はタイの現状がそこまでひどくはないと思っており、飛行機を飛ばさないという判断は彼らの顧客にも影響を与え、さらに数億円の負担となる。投資家への責任から、この負担はするべきではない

それに対して、他の生徒が反論する。

私は彼の意見に完全に反対だ。飛ばすべきではない。顧客と会社の間には情報の非対称性があり、顧客は今タイの状況がどんな状態かわかっていないので、行きたいと言っている。私たちも今のタイの状態を正確にはわかっていないが、混乱の中にあるというのは容易に想像がつく。そんな状況の中に顧客を送り出すことは、顧客に対しての責任を果たしていない。また、数億円の短期的な負担よりも、ここで飛行機を飛ばして、顧客を危険にさらした時に長期的に信頼を失うことによる損失の方を優先的に考えるべきだ。

他の生徒も加わり、顧客に対する責任、投資家に対する責任、の議論が深まっていく。また、プレスリリースを打つべきか打つべきでないか、という議論も行われ、「政府や他旅行会社に対して行動を促すためにも打つべき」という意見と「まだ連絡が取れない、という程度の情報しか出せないのでもう少し待つべき」という意見が出る。それぞれのアクションのメリットとデメリットが出てきて、社会に対してどのような責任を負っており、どう果たすべきか、という議論が行われる。

また、この混乱の中で、従業員に対してどのようなリーダーシップを取るのが良いか、という議論も行われる。自分が中に入って判断をして方向性を示すべきか、それとも現場に委任して自分は政府や本社と協働することに集中するべきか、の議論。何を優先して行うべきか、それはなぜか、と議論が深まったところで、実際のその時の社長が体験談を語るビデオを見て、当事者がどのような考え方をして、どのような判断をし、どのように行動したのかを知る。

実際の例では、社長はツアー運営会社はマスコミ、政府へ「800人と連絡が取れず、洪水の被害が大きい」ことをプレスリリースし、政府へ逐次情報を提供し、タイへ向かう飛行機2便をキャンセルし、飛行機をチャーターして、4000人強の自社の顧客をすぐに帰国させた。政府が動いて他のスウェーデン人旅行者の帰国を行ったのは、その4日後であった。会社はその年は利益が伸び悩んだが、翌年には回復した。

70分の議論が過ぎ、最後の10分で教授がまとめる。

  • 投資家、顧客、従業員、社会に対してどんな責任を負っているのかを経済的、法的、倫理的な視点から分析する
  • 顧客が状況を把握して判断できるという前提ではなく、顧客よりも自分たちの方が情報を持っているという前提で顧客への責任を考える
  • “No surprises” Policyを取るべき。想定外の事態が起きた時には、規制当局、上司、顧客にはすぐに、何がわかっていて、何が分かっていないのか、を伝える(ただし、法に準ずる)。
  • 政府と問題が発覚する前に協働するべき。彼らに自分たちを信頼させる理由を与える

白黒がはっきりしない問題に対して、唯一の解ははない。しかし、白黒がはっきりしない問題を考え続けることで、より良い判断と行動ができるようになる。LCAではこういったケースを通じて、状況を分析して、アクションプランを立てる考え方を学び、自分自身の判断の軸を養成することが目的になっている。

ビジネスパーソンは経済的な視点から物事を判断しがちだが、実際には法的、倫理的な視点からも考える必要があり、かつステークホルダーを漏らさない必要がある。常に難しい判断が求められるという点で、僕はこの授業がとても好きだ。

土井英司さんの講演

縁があり、エリエス・ブック・コンサルティングの土井英司さんの講演を聞く機会があった。彼の講演が非常に刺激的だったので、共有したい。

  • 売れる本を作るためには、供給を1にすること。強み  x らしさ、で自分にしか書けないものを書く
  • 人は究極的に自分にしか関心がない。相手が無視できない、相手を利することから話す
  • 人が知っていると感じ、感情に刺さるようなタイトル、内容にする
  • さおだけやはなぜ潰れないのか、は「さおだけや」というややマイナスのイメージと「潰れない」というプラスのイメージが同じ文脈にあるため、人は認知的不協和を起こして、手に取りたくなる
  • 「ユダヤ人大富豪の教え」は実はお金に対する考え方の本だが、入り口は入りやすくしている。興味を持たせるため、あえて最後の伝えたいメッセージを前面に出していない
  • 今、何が売れているかをみれば、未来が予測できる
  • 具体的、パーソナルなストーリーを語る
  • 人が何を大事にしているのか、何にお金を使っているのかを理解する
  • 人がなぜあるものを大事にしているのかを知るために、経験することにお金を使う。ファッション、自動車、マンション投資など、やってみてわかることが多い
  • お金を払うということは一定の距離を取りたい時
  • 人の能力は、遺伝要因 x 環境 x Resilience。早く挑戦して、失敗して、立ち直り、学び、次の挑戦をした方が良い
  • 理詰めで行って、最後は自説を持つ
  • 出版は個人のIPO。1冊で伝えられる範囲は限度がある。本を継続的に出すことで、考え方を広めることができる

お金を経験するために投資する、人の関心を理解する、具体的かつパーソナルなストーリーを語る、など過去に出席した中谷彰宏さんのセミナーで学んだ内容と共通するところも多かった。時間とお金を自分に投資して、常に成長し続ける人が自分の成し遂げたいことを成し遂げられる、というのは言うは易しで、いかにそれを仕組み化するかが鍵だと感じた。

日本人起業家との出会い

日本人でアメリカに来て起業した方と食事をして、お話を聞かせてもらった。その方は60代で初めてアメリカに来て、英語もほとんど話せないままいきなり起業した、というナイアガラの滝から飛び降りるようなことをした方なのだが、非常に面白かったので共有したい。

  • 引退を機に、アメリカで勝負しようと思い、渡米。妻も心配してついてきてくれた
  • アメリカ人相手にやりたい、と日本に関わるビジネスでもなく、日本人を雇うわけでもなく、いきなり設備投資をして、アメリカ人を雇って貴金属回収ビジネスをスタート
  • 現地のNPOと組んで、そこで工場で相場より安く働いてくれる人を確保 (生産)
  • 政府と取引をしている会社に飛び込み営業をして、社長と会い、関係を築き、良い商材(貴金属が含まれた基板)の安定供給を確保 (仕入れ)
  • ネット上でB to Bの販売網を築き、単一製品の大量販売が出来るという強みを活かして販売 (販売)

そもそもネットワークがなく、言葉もわからない土地でビジネスを興すガッツもすごいが、戦略とそれを実行する行動力がものすごい。飛び込み営業で契約を取ったり、人をマネージするのは、たとえ言葉が出来ても難しいのに、それを実現している。また、優良な仕入先を確保すること、コストを抑えた生産先を確保することは競争優位につながり、なかなか後から真似しようとしてもできないため、出来上がったビジネスは非常に競争力のあるものになっている。

その後ももう一社立ち上げて、今は家族のために時間を使おうと休んでいるが、今度は東京でもう一度一旗あげようと考えているとのこと。

起業家というのはこういう人のことをいうのだろうなと思わせてくれる人だった。こういう人と出会えるのも、アメリカという土地にいることの楽しさだ。