ふるさと納税は現代の桃太郎電鉄か

「ふるさと納税」ほど理念と現実が違う制度ほど珍しい、という小話。

「ふるさと納税」とは本来国に収める税の一部を自分の選ぶ地方自治体に収める制度であり、元々は総務省のウェブサイトにあるように、以下の三つの目的を実現させるために作られた。1. 納税者に納税について考え、納税の大切さを感じる機会を与える、2. お世話になった「ふるさと」に納税という感謝の気持ちを伝える手段を提供する、3. 全国の地方自治体に切磋琢磨する動機を与える。これらの目的を達成するため、ふるさとは納税者が選べ、寄付金については所得控除ではなく税額控除とする方式となっている。

結果、何が起こったかというと、ご存知の通りの地方自治体による仁義なき返礼品合戦である。制度が始まった2008年から2019年初めまで、個人はどの自治体を選んでもよく、地方自治体にもどんな商品を扱うかの制約はない。いくつかのめぼしい特産品がない自治体はamazonギフト券やJTB旅行券を返礼品として出し始め、他の地方自治体もそれに引きずられるように返礼品額の割合を上げていった。特に2014年から確定申告不要のワンストップ制度が始まってからは多くの納税者が節税対策の一環としてふるさと納税を利用しはじめた。また、ふるさと納税は周辺ビジネスを作り出し、アフィリエイト、もしくは手数料目当ての多くの比較サイトが生まれた。最大手比較サイトであるふるさとチョイスなどの後押しもあり、2018年の納税額は3,481億円に達している。

ふるさと納税については、納税について考えたり感謝の気持ちを伝えるというよりも返礼品カタログから節税対策の一環として好きなものを選ぶプロセスとなっており、当初の目的が達成されていないこと、高額所得者ほど税額控除枠が大きくなりメリットが大きいという点は多くの識者が問題点として指摘している。

そんな問題もあるふるさと納税制度ではあるが、良い点もあるかと思う。まずは、地方の特産品を知るきっかけになっている点だ。ふるさと納税の人気ランキングを見てみると、佐賀牛、黒毛和牛、あきたこまち、といった食べ物系が多い。ランキングを見て、じっくり比較検討するだけで、地方自治体の特産品を覚えてしまう。この制度を通じて長野県のシャインマスカットを知った人も多いのではないか。何食べたいかな、と楽しみながら地方特産品を知るきっかけを作ったという点で、「桃太郎電鉄」をプレイしているような感覚がする。多くの国民に自国の美味しい食べ物を改めて伝えるという点においては、制度は良い役割をしているのかと思う。

また、地方自治体に自分たちの強みを真剣に考えさせ、地方名産品カタログができたことも、制度がもたらした良い点だ。得られたデータを上手く使えば、海外からの旅行者に対する情報提供とインバウンド旅行者の滞在日数を増やすきっかけにできるのではないかなと思う。省は違えど観光庁と総務省が協力できると面白いことができるかもしれない。

個人としては、残念ながら今年は日本で納税予定がないので特産品を味わうことができないのだけれど、日本で納税することになったら、制度を利用して海の幸を楽しみたい(特に海外にいると日本の海産物が恋しい。。。)

追記

ふるさと納税は大学教養レベルの経済学で説明できるいい事例だと思う。ふるさと納税が生み出した市場は、経済学で言う完全競争市場に近く(市場に無数の参加者がおり、比較サイトのおかげで情報の非対称性がなく、誰も価格を設定できない。差別化されている商品を扱えることが完全競争市場の要件を満たさない点だが、金券などは誰でも扱える)、返礼品額の率の高まりがほぼ寄付額と同じくらいまで高まっていた点は、経済学の予想と一致している。また、多くの納税者がふるさとへの貢献というよりは純粋な経済的利益を優先して納税先を決めていた点も、合理的経済人という経済学の前提を満たしている。最終的には市場の失敗に、お上(総務省)が出てきてルールを決めるのも(返礼品の割合のガイドラインを作り、それを守らない参加者を排除)、これも経済学が提唱する市場の失敗を解決する一つの方法だ。

老後資金2000万円不足するのは本当か?

老後というのは医療への支出が必然的に高くなる時期でもあり、医療業界にとっても関心が高いテーマです。金融庁が公表した「高齢社会における資産形成・管理」の報告書が様々なところでニュースになっているのが興味深いと感じたため、考えることを書いてみます。

報告書の要点としては、以下です。

  1. 人生100年時代となり、現在60歳の人の25%は95歳まで生きると推定される
  2. 現在の「高齢無職夫婦世帯」では毎月の収支が毎月約55,000円の赤字で年間約66万円の赤字になっている
  3. 66歳から高齢無職夫婦世帯となると、95歳末までで66万円 x 30 = 1,980万円 (約2,000万円)不足する
  4. だから若いうちからの資産形成、60歳以降も働き続けること、退職前の収入と支出バランスの見直しと貯蓄が重要
  5. 上の4をサポートするような環境整備が必要(iDeCo、つみたてNISA、金融リテラシーの向上、アドバイザーの充実、高齢者保護)

一言で言うと、「公的年金だけでは不足するので、個々人が貯蓄、投資を行う必要があり、国としてはそれをサポートするような環境を作るべき」、です。この主張自体に驚きはないのですが、驚いたのはこのニュースに対する反応。時事通信社のニュースを引用すると、野党は下記のように年金制度を批判する材料として利用しているようです。

 立憲民主党の福山哲郎幹事長は7日の党参院議員総会で「いつから2000万円ないと老後が迎えられなくなったのか。安倍晋三首相に予算委員会で国民の不安に答えてもらわないといけない」と強調。「逃げたまま衆院解散・総選挙など許されない」と訴え、手始めに首相と全閣僚が出席する10日の参院決算委員会で追及する方針を示した。
首相が自民党幹事長を務めていた04年の年金制度改革は「100年安心」がうたい文句だった。今回の報告書は政府が年金制度の破綻を認めたとも受け取れることから、国民民主党の玉木雄一郎代表は7日の党会合で「100年安心は崩れた」と主張。独自の改革案を提示し、参院選の争点にする考えを表明した。
主要野党が攻勢をかけるのは、参院選に合わせた衆参同日選の臆測も出る中、17年衆院選の際にクローズアップされた学校法人「森友学園」「加計学園」問題など政権を揺さぶるテーマが他に見当たらない事情も背景にある。6日は合同ヒアリングを開き、厚生労働省などの担当者に「公的年金の使命を放棄している」と詰め寄った。

もちろん政治的な意図を持って攻撃するために組み立てているのでしょうが、「2,000万円不足するのは年金制度が破綻しているからだ」というロジックは聞いていて非常に面白いです。いつから年金制度というのはどんな生活をしていても、死ぬまでに必要な金額を全額出してくれるようになったのでしょうか。

老後に2,000万円という数字が一人歩きしていますが、現実に老後資金不足で困るのは以下が前提とされている状況です。

  1. 「高齢無職世帯」となった時点で十分な貯蓄がない
  2. 収入、支出をコントロールして収入と支出をバランスできない
  3. 年金収入のみが老後資金の源泉である

まず一点目の貯蓄についてですが、同じ金融庁のレポートの中で、60-70代の平均的な金融資産は1,830万円とあります。同レポートによれば90歳まで生きるのが約45%なので、65歳から90歳までに必要な金額は約1,650万円 (66万円 x 25年)。レポート内で用いられている平均的な家庭が平均的な寿命まで平均的な生活をするのであれば、亡くなるときに約180万円を残すことになり、年金制度は老後生活をサポートするのに十分な額を提供していることになります。つまり、平均的な家庭はお金を使い切る賢いお金の使い方をしていることになります。もちろん平均なので、資産が余る家庭もあれば、足りない家庭もあるでしょうが、平均を見る限り、年金制度が崩壊しているとは言えなさそうです。

二点目の前提の収入と支出についてです。資産が平均以下の家庭であっても、支出をコントロールすることはできます。金融庁の報告書の生活費の数字は、厚生労働省の「2018 年度の公的年金額と 2017 年の高齢者世帯の収支」のレポートを元にしているのですが、これを見ると焦点となっている高齢無職夫婦世帯の平均は月21万円で19万円が年金収入。支出を見ると、26.5万円で、その内削れないであろう保険医療と社会保険料は足して4.5万円程度で衣食住が食費で7.7万円、光熱費2.3万円、住居1.8万円、服代1万円。これら以外にも、教養娯楽で2.5万円、交通・通信で4万円、その他で6.8万円の計13.5万円使っており、本当に生活が苦しいのであれば、この衣食住医療以外で削れる余地はあるかと思います。もしこれらが削れれば、収入と支出のバランスを取ることができ、特に貯蓄が必要でないことになります。

収入の面では、自営業者の家庭で厚生年金に加入しておらずそもそも月19万円も年金がない、という家庭も当然ながらあるでしょう。その場合は年金が月12万円程となり、支出の切り詰めで対応できないことは十分考えられます。金融資産もなく、食事もままならない、と。それではこういう家庭には打つ手はないのでしょうか。人生100年安心は偽りなのでしょうか。

三点目の社会保障からの収入についてです。年金だけでは生活に必要なお金が不足する場合、年金ではなく生活保護がセーフティネットになります。厚生労働省の生活保護に関する報告書においても、2015年時点でも65際以上の約100万人が生活保護を受給しており、3,500万を超える65歳以上の約3%が生活保護を受給しています。生活保護制度が続いている限り、日本では健康で文化的な最低限度の生活が保障されています(現実には制度を知らない人がいたり、アクセスがそこまで容易でないという課題がありますが、制度としては存在しており、多くの国民の生活を支えています)。

上記のように、「老後資金2000万円不足するのは本当か?」という質問に対しては、そういう家庭はあるだろうが、現状では限られる、というのが答えでしょう。そもそも定義として年金はどんな生活をしていてもその金額を全て保障する制度ではなく、不足は破綻を意味するものではありません。不足についても、家計の貯蓄を考慮しておらず、家計の支出コントロールを無視しているために前提が多くの家庭で成り立っていないため、平均的な家庭で不足するように語るのは誤りです。また、債務超過となった場合には生活保護を利用するという手段があるため、年金だけで生活が成り立たなければこの世の終わりのように、政治家やマスコミが社会不安を煽るのも望ましくないと思います。

ただし、これらはあくまでも現在の話であり、年金だけで今後も十分かという問いに対しては、そうでないと答えざるを得ません。

年金制度が破綻しているとまで突っ込むのであれば、そもそも論を展開してほしいところです。国民年金は国庫負担が半分であり、その額は年間12兆円に達しています。日本の2018年の歳出は98兆円であり、34兆円(約1/3)を借金に頼らないと回らない中で(2018年度予算)、同レベルの国庫負担をいつまで続けることができるでしょうか。日本はマクロ経済スライドを導入して長期的には給付水準を負担水準と一致するようにしていますが、前提は国家が国民年金の半分を負担し続けられることです。国庫負担を維持できなければ、保険料をあげるか、積立金の取り崩しの速度を早めるか、給付水準を調整するか、年金受け取り年齢を引き上げるか、などの手段を取る必要が出てきます。ギリシャが過去10年間に行ってきたように、日本は将来的にはそのどれも行わざるを得ないでしょう。国民年金は高齢無職世帯の収入のうち約12万円を占めていますから、これが半分の6万円になると、かなり苦しい生活になる人たちが増えてくると思います。

ギリシャの例では、年金の変更で最も被害を受けたのは社会保障が続くという前提で生活を組み立てていた国民でした。今の水準の年金制度が持続可能でない以上、国としてはきちんと現状を伝えて自助努力を促すことは重要ですし、そのための環境整備をすることは国の方針として正しいと思います。

次の選挙を勝つためには政治家として、現在の麻生財務大臣のように政府は必要な対策をとっており安全ですよ、と伝え続けるのが合理的なのかもしれません。ただ、それは問題の先送りでしかなく、問題は先に伸ばせば先に伸ばすほど、後になった時の被害が大きくなります。「借金をしてまで現在の高齢者世代に高い年金水準を支払っていますが、持続可能性についてどう考えているのでしょうか。投票権のない将来世代に負担を先送りするのは政治家として正しい姿でしょうか」、という質問ができるような、将来世代を向いた政治ができる政治家が日本にも出てきてほしいところです。

6月12日 追記:

やはりというか、麻生財務大臣が報告書の内容について否定して、年金の信頼性について再度強調しました。国民はそこまで愚かではないので、政府のこういう答弁は政府への信頼感を落とすと思います。結果的に、国民は自己防衛のために貯蓄にお金を回し、お金が経済に回らず、経済成長を妨げ、賃金が上がらず、貯蓄をするのがより大変になる、という悪い循環にはまっているように見えます。